前回の投稿(昔のPTA新聞の話)と関連して
■人を批判する方法
人に意見をして、その欠陥を改めさせるというのは、最も大切なつとめの一つである。しかし、そのやり方には大いに苦心を要する。
人のことについて、その善悪を発見するのはたやすいことであり、それを批判するのも簡単なことだ。
大抵の人は、人のいやがる、言いにくいことを言ってやるのが親切だと心得、それが受け入れられなければ、仕方のないことだとしているようだ。これは、何の利益にもならない。
結果として人に恥をかかせ、悪口を言うのと同じことであり、言う側の気晴らしに過ぎない。
人に意見を言う際には、まず、相手がそれを受け入れる気持ちがあるかどうかよく判断し、互いに心を打ち明けあうほどの仲となり、こちらの言葉を信頼するような状態にしなければならない。
その上で、趣味のことなどから気持ちを引き、言い方、言う時期などをよく考え、手紙を利用し、暇乞の折にふれ、あるいは自分自身の弱点や失敗の話などをして、直接相手に意見をせずとも思い当たるようにするのがよい。また、まず相手の長所をほめ、気分を引き立てておいて、ちょうど喉のかわいた時に水を欲するように、こちらの言い分を自然に受け入れさせ、欠陥をなおしていくのが本当の意見である。大変むずかしいものである。
誰しも欠陥、弱点というのは、長い間しみついているものであるから、一とおりのことで直せるものでないことは、自分にも覚えがある。同僚同士がお互いに親しくなりあって、その欠陥をただしあい、一つ心になってつとめるようになることこそ、真の大慈悲である。
いたずらに人を辱めて、どうしてこの目的を達することができようか。
この文章、もちろん私のものではありません。では、どこから引用したものかというと……。
これは、300年以上前に書かれた「葉隠」という書物の一節です。江戸時代のものなのに、今に通じるものがあると思いませんか?
子どもを感情的に怒ってしまい、あとで「あ~あ、あんな言い方しなくてもよかったなぁ」・・・・こんな経験、だれもがお持ちだと思います。もちろん、私も。
江戸時代の親たちも、昭和36年頃の親も、きっと同じような思いをしていたのでしょうね。
こうしてみると、教育や子育てというものは、いつの時代であっても本質的に変わることはないのかな、そんなふうに感じました。
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