2026/07/13

両面分度器

 市販の分度器って、角度の勉強を始めたばかりの子どもには、とっても使いづらいものです。60度なのか120度なのか、80度なのか100度なのか・・・・迷ってしまう子どもたち、とても多いと思います。

 この点を解決しようと思って、こんな教具を作ってみました。




2025/03/28

学級だより №266

 № 266 2025年3月21日


 江戸時代中期に活躍した儒学者に、細井平洲という人がいます。米沢藩の名君、上杉鷹山の師としても知られた学者です。

 この細井平洲が、教育について、こんなことを言っています。


教育とは、菊好きな人間が菊を作るようにしてはならない。

百姓が、野菜や大根を作るようにすべきなのだ。


 なぜ、菊を作るようにしてはならないのでしょうか。

 それは、菊を作る人には、自分の理想の「菊」があって、それにあわないもの、欠点が目につくものを摘み取ってしまうからです。2つか3つのつぼみを残して摘み取り、そのうちのたった1つで大輪の花を咲かせます。菊作りには素晴らしい方法でしょうが、子育てにあてはめるのは、大きなマイナスです。

 では、農民が野菜を作るときはどうでしょうか。

 欠点のあるものを、捨てるということはありません。畝に芽を出したものも、日陰で懸命に育っていくものも、大切に大切に慈しんで育てます。

 子育てとは、このように、一人ひとりすべてを大切に育てていくことです。

 条件が違っても、相手にあった方法で育てていくことです。

 ──現代は、江戸時代とは異なり、規格に合わない野菜は排除されるような傾向にあります。曲がったキュウリや大きさの合わないカボチャなどは、廃棄されたりしてしまいます。ですから、この言葉がそのままあてはまるわけではありません。

 しかし、この考え方は好きで、いつもかくありたいものだ、「野菜作り」をしたいものだと思っています。

 とは言いつつ、実際は「菊作り」をすることが多かったかなと反省しきりの1年間でした。

 こんな担任でしたが、子どもたちはいろいろな面でとてもよく頑張ってくれました。教えるべき立場である私が、逆に教えられることもしばしばでした。

 保護者のみなさまには、1年間、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。                                   (終わり)

2025/03/24

学級だより №265

 № 265 2025年3月19日


 以前、近所の方から聞いた話です。

「この間、私の義父が家で転び、動けなくなってしまいました。とても歩ける状態ではなかったので、急いで救急車を頼んだのですが、その際のことです。

 私は、救急車に一緒に乗り、病院に向かいました。

 救急隊の方は、みなさんとてもいい方ばかりでした。いろいろ声をかけてくださり、動転しかけていた気持ちも落ち着きかけてきました。

 ところが・・・・。

 交差点に差しかかったときのこと、

 その先の信号は「赤」になっていました。そこで、救急隊の方は

『赤信号ですが、救急車は直進します。ご協力ください。』

と、アナウンスをしました。

 こちらは緊急車両なのですから、まわりは譲ってくれるだろうと思っていたのですが・・・・。

 目の前には、自分たちは青信号だから当然とばかり、横断歩道を堂々と渡っていく学生の集団が。

 救急車は、その列がとぎれるのを待つしかありませんでした。

 その時間がなんと長く感じたことか。

 この様子を見た、救急隊の方曰く

『この頃は、こういう若者が多くて困っています。昔はこんなことはなかったのですが。』」

 ちなみに、この「学生の集団」は、毎年、東大に大勢送り出している、超有名な進学校の生徒だとか。

「勉強ができることは素晴らしいことかもしれません。そして、そのために努力もしてきたことでしょう。しかし、その前に、人として学ぶべき、身につけるべき大事なことがあるのではないでしょうか。

 うちの場合は、生死を分けるようなけがではなかったのでまだいいのですが、これが、本当に緊急を要するような方が乗られていて、仮にそのために、もしものことになったとしたらと思うと・・・・。」

学級だより №264

 № 264 2025年3月18日


  その昔、江戸は人口100万人の巨大都市でした。それに対して、お巡りさんの数はわずか30人足らず。それなのに、殺人事件は1年間に1件があったかどうかだったそうです。

 どうしてそんなに治安がよかったのでしょうか。

 作家でコラムニストの金平敬之助氏は、こう言っています。

「(それは、相手を思いやろうという)しぐさや言葉があったからです。しぐさや言葉が汚いと反発をくいます。それを江戸の人は知っていたから、皆で注意しましょうとしぐさや言葉を教えたのです。

 260年間も平和を続けた国が他にどこにあるのでしょう。人間関係を良好にする知恵が、世界最高のレベルに達していたのです。

『お茶が入りました』という言い方がありますね。でも、お茶は勝手に入りますか。『お風呂が沸きました』──お風呂が勝手に沸きますか。ヨーロッパ人だったら、俺が薪を割ったのだ、俺が水を汲んだのだ、と必ず言います。ヨーロッパの人にはノーとはっきり言わないと伝わりません。日本人は、相手に負担をかけないような表現をします。これが奥ゆかしさ、相手を思いやるすごさです。

 これに対し──。

『そんなことを言うのは3年早いよ!』『お父さん古いよ!』『この年まで何やってきた!』

 このような、相手が何もいえない状態や返事のしようのない言葉を『戸締め言葉』と言います。江戸時代は、これを大変嫌ったのです。

『舌の紡ぎ出す言葉は、どんな切れ味のよい刃よりも猛毒を塗った矢よりも強い』

 刀の傷というのは治りますが、言葉の傷は治りません。だから江戸時代には『あいすみません』が多く使われました。理由は濁音がないからです。それほど言葉に神経を使っていたのです。」

 ある人は、

「戸締め言葉は、人の和を崩したり、人を傷つける最悪の言葉なのです。特に、家庭で、子どもに対して戸締め言葉を使うと親子の関係も複雑になり、子どもは心を開くことをしなくなります。」

と言っています。

 言葉って、大事ですよね。いくら思いがあっても、言葉を発しなければ伝わりません。そして、その言葉次第で、相手の気持ちは良くも悪くもなるというもの。

 こういう私自身が「戸締め言葉」をたくさん言っているような・・・・そんな気がしています。反省、反省。

2025/03/22

学級だより №261

 № 261 2025年3月14日


 先週、子どもたちにこんなクイズを出しました。

 時は18世紀。今のロシアに「ケーニヒスベルク」という街があり、そこに、「プレーゲル川」という川が流れていました。この街の住人がある日こう考えました。「街にある全ての橋を一度しか渡らずに全部回

れないだろうか?」と。そこで、街中の知識人が集まりあって挑戦しました。さて、どうやったらできるでしょうか。


 子どもたちは、一斉に鉛筆を持ち、線をひいていきました。しかし──。

 なかなかうまくいきません。いろいろ試してみたのですが、どうにも「正解」が見つからないのです。

「先生、橋を一本つけたしてもいいですか。」

「この橋を“爆破”すれば、できるんだけれど・・・・。」

 もちろん、その二つとも×です。

 そして、しばらくして、ある子が 「こんなの『無理』だよ。」

 

 実は、この問題、その子が言ったとおり「無理」なのです。「街にある全ての橋を一度しか渡らずに全部回れないだろうか?」──それはできないことです。


 上の地図を簡略化すると左のようになります(太線は、橋を表しています)。

 まるで、一筆書き、というか、正に一筆書きです。

 一筆書きというと、右のような問題をよく見かけます。ちなみに、これは一筆書きでかけます。

 右のような図形は一筆書きができますが、左はできません。一筆書きができるためには、数学的な条件がそろっていなければいけません。ということで、上の問題は、れっきとした数学の問題なのです。そして、数学には「できない──解なし」という答えもありますよね。

 もっとも、子どもたちは数学をしているなどという意識はなかったことでしょうが。


両面分度器