№ 257・258 2025年3月11日
言葉は「生き物」です。
例えば、「貴様」という言葉。もともとは、「あなた様」であったのが、江戸後期から目下や同輩に対して、もしくは罵る言葉として使われるようになりました。
また、「鳥肌が立つ」という言葉。もともとは、恐い時や寒い時、あるいは不快感を表すのに使う言葉ですが、今では、「感動した」「素晴らしい」という場合にも使われるようになりました。
「新(あたら)しい」という言葉も、もともとは「新(あら)たしい」でした。それが江戸時代に「あらたし」をひっくり返して「あたらし」と言うようになり、それがいつしか正しい言葉になっていったそうです。
言葉が時代とともに変化するのは、ある意味、当然のことなのかもしれません。
とは言っても、前号の投稿記事にあるように、「自分の感じたことを多様な形で表現する」ことや、「時と場合にあった言葉遣いをする」こと、これらはとても大事なことであると思います。
それは、時代が変わっても同じでしょう。
ところで、以前受け持ったクラスで、ある保護者の方からこんなことを言われました。
「学級だよりに、子どもたちのしゃべっている場面が出てくることがありますね。それを読んでいると、どれもとてもていねいな言葉を使っているのですが、はじめは本当かなと思っていました。でも、学校公開で子どもたちの様子を見て得心しました。子どもたち、みんな立派ですね。」
そこで、
「そうなんですよ。学級だよりに書いていることは、子どもたちの言葉そのままです。
私に『ため口』をきく子はいません。」
このクラスの子たちも、みんなそうです。
ちなみに、ため口の「ため」とは、博打用語で「ぞろ目(同目)」を指した言葉だそうです。それが、1960年代から「五分五分」の意味で使われるようになり、その後、「対等」や「同じ」という意味でも使われるようになりました。さらに、「同年」「同級生」という意味にもなり、同い年の相手に話すような口のきき方を「ため口」というようになったそうです。
話は変わって――
「了解しました。」という言葉を耳にすることがよくあります。また、「了解です。」と言う人もいたりします。
部下が上司の指示や要請に対し、「分かりました。」という意味で使うようです。しかし、「了解」とは、「物事の内容や事情を理解して承認すること(デジタル大辞泉)」です。「承認」ですから、「了解」は、本来は、上の者が下の者に対して使う言葉です。
それなのに、下の者が「了解しました。」を使うなんて、おかしいなぁ──この言葉を聞くたび、違和感を覚えます。また、「了解しました。」なら、まだ、ていねいな感じがしなくはないですが、「了解です。」は最悪です。
ここはやはり「承知しました。」や「かしこまりました。」を使ってもらいたいもの。せめて「分かりました。」とすべきかなと思います。
言葉は、時代と共に形を変えていく「生き物」であるとは言え、子どもたちには、正しい言葉を伝えていかなければいけないと思います。
かく言う私も、間違った日本語を何気なく使っているかもしれません。気をつけなければ・・・・。
余談ですが。
私の住んでいる地区で、地方議会議員選挙があったときのことです。その選挙運動最終日に、ある候補者が選挙カーに乗って、家の前を通り過ぎました。その際、「最後のお願いに参りました。」と言いながら。
ところが、それからほんの数十分後、また、家の前の通りに入ってきました。
「さっき、『最後のお願い』と言ったはずなのに。」──そう思ったのですが、その時、何とこう言ったのです。
「最後の最後のお願いに──。」
その数十分後には、「最後の最後の、最後のお願いに──。」
この候補者にとって、「最後」とは「一番おしまい」ではないのですね。
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