前回の投稿のつづきです。
D・カーネギーは、自著「人を動かす」の中でこのように述べています。
人と話をする時、互いに意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。まず、互いの意見が一致している問題から始め、それを絶えず強調しながら話を進める。互いに同一の目的に向かって努力しているのだということを、相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと強調するのである。
最初は、相手に“イエス”といわせるような問題ばかりを取り上げ、できるだけ“ノー”といわせないようにしておく。
オーヴァストリート教授はこういっている――
「相手にいったん“ノー”といわせると、それを引っ込めるのは、なかなか容易なことではない。 “ノー”といった以上、それをひるがえすのは、自尊心が許さない。“ノー”といってしまって、後悔する場合もあるかも知れないが、たとえそうなっても、自尊心を傷つけるわけにはいかない。いい出した以上、あくまでもそれを固執する。だから、初めから“イエス”といわせる方向に持って行くことが、非常に大切なのだ。」
話し上手な人は、まず相手に何度も“イエス”といわせておく。すると、相手の心理は肯定的な方向へ動きはじめる。これはちょうど、玉突きの玉がある方向へ転がりだしたようなもので、その方向をそらせるには、かなりの力がいる。反対の方向にはね返すためには、それよりもはるかに大きな力がいる。
(中略)
人に“イエス”といわせるこの技術は、きわめて簡単だ。それでいて、この簡単な技術が、あまり用いられていない。頭から反対することによって、自己の重要感を満たしているのかと思われるような人がよくいる。生徒にしろ、顧客にしろ、その他、自分の子供、夫、あるいは妻にしても、初めに“ノー”といわせてしまうと、それを“イエス”に変えるには、大変な知恵と忍耐がいる。
(後略)
「だって、Bさんが『バカ』って言ったからです。」
――はじめに「だって」と言って自分の行為を正当化してしまうと、それを反省する気持ちにもっていくのは至難の業です。
それよりも、カーネギーの言うように、「最初は、相手に“イエス”と言わせるような問題ばかりを取り上げ」た方が効果的だと思います。
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