2024/09/25

学級だより №113

 № 113 2024年9月24日


 お子さんは、宿題の漢字スキル、見せているでしょうか。

 下は、子どもたちが宿題として漢字スキルに書いた「漢字」です。


どれも間違っています。

 これらの「漢字」を書いた子たちに聞いたところ、全員が宿題を終えた後、おうちの人には見せていないと答えていました。

「せっかく時間をかけて宿題をやったのに、間違った字を覚えてしまったら、何もならないでしょう。

 おうちの人に見てもらう、確認してもらうのは、そういう間違いをなくすためです。

 それに、おうちの人は、自分の子どもが今、学校でどんな勉強をしているのか、とても気になるものです。それなのに、宿題をおうちの人に見せないなんて、おうちの人に失礼です。

 また、算数の宿題ですが、計算を間違えてしまうこともありますよね。人間がやることですから当然です。では、そんなとき、どうしたらいいですか――もちろん、そのまま提出してはいけません。当然、やり直しです。

 学校で習うことは、初めてのことばかりですから、間違って当然です。これからも、たくさん間違え、何度もくり返して覚えていきましょう。

 宿題も同じようなことが言えます。学校で習ったものとは言え、間違えることがあるのは当たり前です。でも、間違えたまま提出するのでは、宿題をやった意味がありません。100点満点にして提出する――これからも、そうしていきましょう。」


 保護者の皆様には、毎日、宿題の点検等していただき、ありがとうございます。お仕事や家事のあと、お疲れのところ恐縮ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

2024/09/24

学級だより №112

 № 112 2024年9月20日


 今日は漢字テストについて(?)です。

 この学級だよりでもお伝えしました通り、先週の金曜日に「漢字50問再々テスト」を行いました。その結果ですが――。

 平均点は○○点でした。初回は○○点だったので、15点も向上したことになります。

 今回のテスト、出題範囲は同じですが、問題は初回とは違います。ですから、勉強をしなければ点数は取れません。

「みなさん、よくがんばりましたね。かなり練習したのではないですか?」

 このように聞くと、みんな、「そうです。」とばかり、大きくうなずいていました。

「そうでしょうね。でなければ、こんなに点数が上がるわけはないです。

 でも、大事なのはこれからです。この結果に安心することなく、これからもコツコツ努力していきましょう。

 私は、このように話したあと、黒板に大きく「やればできる」と書きました。

 そして、

「先生は、この『やればできる』という言葉はあまり好きではありません。」


 それは、こういうことです。

 苦手にしている教科でも、親や教師の励ましがあると、ときには集中して勉強したりすることがあります。その結果、よい結果を得ることがあります。例えば、漢字の小テストなど。

 そして、100点を取ったときに、大人は、よくこのように言います。

                「やればできるじゃない。」           

 また、ふだん雑に書いている子がきれいな字を書いたときなどにも「やればできるじゃない。」

 大人は、100点のテストやきれいに書いたノートを見て安心します。「やればできるのだから、なんとかなるだろう。」と思うわけです。しかし、それが長く続かないことがままあります。しばらくすると、元に戻ってしまうのです。「やればできる」のに、続けることができないわけです。

 大人は、「やればできる」ことを過大評価し、「続けてできない」ことを過小評価しがちです。「やればできるのだから、そのうちなんとかなるだろう。」と考えるのです。ところが「続けてできない」──持続力がないので、長続きしないのです。「何ともならない」ことになりがちなのです。(つづく?)

2024/09/22

学級だより №109

 № 109 2024年9月17日


 先週、金曜日の5時間目、3・4年生合同で「水鉄砲大会」をしました。

 この「水鉄砲大会」、ルールは特になし。とにかく、みんなで思い切り楽しめば、それでOK。

 ただし、

①首から上は狙わないこと。わざとではなくてもあたってしまったら「ごめんなさい。」と言うこと。

②遊んでいいのは、人工芝の上だけ(私の勤務する学校の校庭は、人工芝になっています)。水くみをしている人や水筒の水を飲んでいる人は狙わないこと。

③一人狙いなど、気分を損ねるような行為はしないこと。

というルールだけは話して聞かせました。

 ゲームが始まると、あっちで「プシュー!」、こっちで「プシュー!」――それはそれは大盛り上がりでした。

 さて――この2つの学年は、言われた注意はよく守ってくれます。しかし、上の③はダメでした。

 集中砲火を浴びせられた人がいたのです。

 それは、私。

「明日が楽しみ!」「明日は、先生のこと、い~っぱい狙うよ。」「ぼくも。」「私も。」

 子どもたちは、前の日からテンションが上がっていました。3年2組の子にとって、私は格好の標的になったようです(笑)。

 そして、私が

「先生がこんなひどい目に遭って、かわいそうだとは思わないのですか?」

と尋ねると(もちろん、笑いながら)、みんなニコニコしながら

「おもいませ~ん!」

 私も、思い切り反撃しました。とは言っても、私の武器(水鉄砲)は2個入りで100円の小さなものなので、全く太刀打ちできませんでしたが。

 楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。

「先生、今日のこの時間、今までの(小学校生活の)中で、一番の思い出になりました!」

――終わった後、ある子がこんなふうに言っていました。


2024/09/21

学級だより №108

 № 108 2024年9月13日


 前号のつづきです。

 都内のD中学校は、いまから40年ほど前に、一つだけ目標を決めたそうです。「席を立つとき、椅子を戻す」という目標です。

 中学校でそんな簡単な目標を?! もしかしたら、その学校は、よっぽど荒れていたのではないか・・・・と思われる方も多いのではないでしょうか。

 しかし、実際はその反対です。当時のD中学校は、そこそこにしつけのできた子供が集まる学校でした。学力もかなり上の方だったそうです。

 では、この「椅子を戻す」という「簡単な」ことができるようになるまで、D中学校ではいったいどのくらいの時間がかかったと思いますか。

 実は、1年ちょっとかかったといいます。しつけがそこそこにできた子が集まる学校で、学校中で取り組んで、しかも、たった一つに目標を絞っても、これだけかかるものなのです。

 では、椅子を戻すことができるようになった子どもたちは、どう変わったのでしょうか。

 D中学校の学力は、さらに向上しました。それだけでなく、スポーツにおいても、トップクラスの成績を残すようになったそうです。

「椅子を戻すことができれば、成績が上がる」──そこに因果関係があるかどうかは定かではありませんが、大事なことには違いないと思います。

 さて、3年2組の子たちはどうかというと、はじめの頃に比べかなりできるようになりました。100%とは言えませんが、それにかなり近づいてきました。

 中学生で学校をあげて取り組んでも1年かかるのですから、3年生の子が今、100%でなくても当たり前のことです。

 だいたい、大人の会合などでも、椅子を戻さず退席する方、けっこういますから。

 ①返事ができる ②あいさつができる ③椅子・靴を揃えられる──この3つのことが今できていれば、とても素晴らしいことです。大いにほめてあげてください。

 また、一つでもできていたら、それも素晴らしいです。

 仮に、今できていないとしてもこれからです。少しでもできたときをとらえて、ほめていきたいものだと思います。

2024/09/18

学級だより №107

 № 107 2024年9月12日


 「①返事ができる ②あいさつができる ③椅子・靴を揃えられる──この3つのことができる子は、とても素晴らしい人ですよ。」

 4月はじめ、このクラスを受け持った日、私は、子どもたちに上のような話をしました。

 さて、それから5か月ほどが経ちました。今、改めてこの3つのことを確認したいと思います。


 今から50年以上前、京都大学出身の哲学者で、教育学者でもあった森 信三は、次のように言っています。

「しつけとは3つのことを教えることである。

 その3つとは、“返事”と“あいさつ”と“靴の始末”である。

 この3つのことができる子というのは、間違いなく優秀な子どもである。学習意欲があり、集中力があり、責任感も強く、人間的にもたいへん豊かなものを持っている。」


 まずは、「返事ができる」

 自分の名前を呼はれたときに、大きな声で「はい」と返事ができるということです。

 一見、簡単なことのように思えますが、意外と難しいものです。

 次に、「あいさつができる」

 「おはようございます」「こんにちは」など、声を出して、礼をしてあいさつができるというのは、ものことのけじめがはっきりついているということです。

 そして、「椅子・靴を揃えられる」

 これができる子も、あいさつと同様、けじめがはっきりついていると言えます。例えば、2時間目が終わり20分休みになったとき、遊ぶことしか考えられない子は、椅子を出しっぱなしにして教室を出ます。上ばきも適当に入れたりします。しかし、けじめがつけられる子は、決してそのようにはしません。                (つづく)

両面分度器