2024/01/31

ある小学校のPTA新聞より

 これは、ある小学校のPTA新聞の抜粋です。


 PTA文化部では、去る11月25日、○○大学教授、○○○○先生を招いて、「反抗期・思春期にある子どもの扱い方」という題で1時間半にわたり、講演していただきました。

 2教室打ち抜いた会場を、いっぱいにうずめた二百余名の参加者は、具体的な事例をまじえて、興味深く話される先生の話に、深い共感を呼び、残された30分の質問時間も足りぬほどでした。


    「感情でぶったり、なぐったりしても、子どもの反省にならない」

 昔は、躾方として、子どもは家でも学校でもよくなぐられた。妙なことで、そんなにやられても、子どもはどんな悪いことをしたのかさっぱり解らないでいることが多い。

 これは、気分や感情で打っているからである。これでは、二度とやるまい、などという気が子どもにおきてこない。ぶったり、おどかしたりは躾としてよくない。それによって、不良になった例もある。叱ってもよいが、悪いことを相手に納得させ、直してあげようという心がけが大切である。

 子どもの顔を見ると、文句ばかり言っていると「また始まったから逃げちゃえ」ということになる。薬も使いすぎるとよくない。ここは一発という時にし、乱用しないこと。そして、どこかに逃げ道を作っておいて、悪いと気がついたら許してあげることです。

    「叱り方の注意」

 低学年では、その場で叱る。後では効果がない。他の人や兄弟の前では絶対いけない。

 体の小さいだけが子どもなのではない。考え方も子どもである。それを、大人のようなことをしろと期待するからいけない。大人の都合のよいことをもって躾としているが、時代とともに子どもも進んできているから、こんな躾ではだめです。

    「子どものやったことを正当に認めてやる」

 子どもの言い分として「勉強したことをちょっとでも認めてほしい」というのが多い。この認めてあげることの意味は心理学の法則でもある。かといって、なんでもほめてあげることではない。大切なことは、子どもの気持ちを上向きにのばしてあげるよう仕向けることである。

 他の人や兄弟と比較して、悪くいうことは絶対よくない。非行原因の主な理由はこの兄弟との比較である。子どものよいところを認めてよくしていくのが根本だ。認められないと思うと、反抗の原因にもなる。

 思春期の特徴としては、自分に目覚めてくること、鏡を見る回数が多くなったら、青年期に入ったと思ってよい。自分はどんな人間かつかもうとしている。この頃になると、自分を自分で試してみようとする気が出てくる。これを、親が解らないでだた怒るのは、子どもを認めていないことになる。そうすると、問題が出てくる。


 ちなみに、このPTA新聞の発行日は、昭和36年12月20日。令和でも平成でもありません。

 昭和36年と言えば、60年以上も前のこと。今とは時代が全く違うはずなのに、この考え方は、現在でも十分通用すると思いませんか?

  「感情でぶったり、なぐったりしても、子どもの反省にならない」

   「子どものやったことを正当に認めてやる」

   「他の人や兄弟と比較して、悪くいうことは絶対よくない」・・・・

 まさに、その通りだなと思います。


2024/01/27

Bくんとの出会い その11(最終回)

 15.仕上げは百人一首の暗唱

 そんなこんなにより、Bはクラスの中に居場所を確保することができるようになりました。また、まわりの見方も変わっていきました。

「(Bのとなりの席になった)Rちゃんがかわいそう。」

 4月当初、Kはそうつぶやきましたが、その後はBに対してクラスメイトの一員であるという態度を見せるようになりました。

 そこで、最後の仕上げとして、百人一首の暗唱に取り組むことにしました。

 10月半ばのこと。Bに100首暗唱を持ちかけました。

 しかし、このときばかりは「はい。」とは言いませんでした。

 ちなみに、この時点でBが覚えていた百人一首は、3首ほど。ここから100首はさすがにハードルが高いと感じたのでしょう。

 それでも、「先生もいっしょについていてあげるから。」と、ねばり強くがんばろうと促しました。

 すると、しばらくして

「ぼく、うまく読めないから、先生がはじめに読んでください、」

と言ってきました。

 前向きになったと感じました。

 Bの母親は外国籍。日本語は片言しかしゃべることはできません。Bは、日本語はふつうにしゃべることはできますが、母親の影響か、なまりがあります。それも自信がない要因の一つだったのでしょう。

 ここから、百人一首の特訓が始まりました。

 ちなみに、私はどのクラスを受け持っても、百人一首の暗唱に取り組んでいます。しかし、強制は一切していません。宿題に出したことももちろんありません。私のところに言いに来るのは全て自主的です。

 Bだけには100首覚えようと打診しましたが、このようなこと、他の子に言ったことはありません。

 それでも、みんな暗唱は楽しいらしく、今年度受け持ったクラスでは全員が100首覚えることができました。

 さて、Bですが、気持ちが乗ったときにはどんどん言いに来るのですが、そうでないときは全く来ようともしません。

 続かないのです。

 これが他の子だったら、強制ではないので別にかまわないのですが、「100首覚える!」と約束した以上、そのままにするわけにはいきません。

「Bくんは、先生との約束なんて、どうだっていいのですね。」

「こんなことだったら、もうやめにしましょう。」

 Bはその都度、

「先生、ごめんなさい。」と言って何とかがんばり続けました。時には涙を流しながら。

 はじめは、亀のような歩みでしたが、徐々にペースが上がっていきました。

 途中からは、私が読まなくてもできるようになり、一気に暗唱していきました。

 そして、ついに100首。

 私のクラスでは、最後に「儀式」として、みんなの前で一首そらんじることになっています。

 10面のさいころを2回ふり、出た目の番号の歌を読むのです。

 ですから、何が出るかわかりません。100首覚えたとはいえ、中には忘れたものもあるかもしれません。

 果たしてBは──見事、唱えることができました。

 その瞬間、クラス中から割れんばかりの拍手がおこりました。みんな自分のことのように喜んでくれたのです。

 言葉にならないくらい、うれしい――そんな瞬間でした。    (終わり)






2024/01/19

Bくんとの出会い その10

 14.席替え

 2回目の席も私が決めました。


 Bには近くにいてもらいたかったので、右の通りとしました。

 事前にBを呼び、

「Bくん。Bくんには先生と一緒に勉強してもらいたいので、この席に座ってもらいたいのですがいいですか。」

 これに対して、Bは「いいです。」

 ちなみに、このあともBの席はずっとこの場所にしました。もちろん、毎回、事前に打診をして。それをしないと、「みんな席の場所が変わるのに、何で、いつもぼくだけ同じ場所なの?」と思われてしまうからです。

 ところで、Bのとなりにはだれもいません。それは、「隔離」したわけではなく、本人の希望なのです。

「となりに誰かがいると気が散るので、一人がいいです。」

 そう言ってきたのです。

 このことは、子どもたちにも伝えました。

 Bは、授業中、きちんと取り組むようになりました。手を挙げ発言することもしばしば。

 そして、後期になると、こういうふうに言うようになってきました。

「一人はさみしいです。」

 そこで、

「わかりました。ところで、となりは、男の子がいいですか。女の子がいいですか。それとも、どちらでもいいですか。」

 Bの答えは「男の子がいいです。」

 となりに座ることになった子は、嫌な顔ひとつしませんでした。その後もそうでした。    (つづく――次回、最終回です)





2024/01/16

Bくんとの出会い その9

13.字を大きく書く

 Bは勉強ができないわけではありません。しかし、きちんと学習するという習慣が全くなかったのです。

 Bに学力をつけさせることはもちろんのこと、Bがきちんと学習するという姿勢をみんなに見せることによって見方を変えさせる──そうしていきたいと思いました。

 はじめに手をつけたのは、文字。

 Bの書く字は、とても小さいです。雑ではないのですが、これはいただけません。

 そこで、このことも話し合いをしました。

 そして、

「Bくんが大きく書いたら、◎をつけるからね。でも、そうでなかったら──。いいですね。」

 Bが承諾したのは言うまでもありません。

2024/01/13

Bくんとの出会い その8

 12.「先生、Bくんがびしょびしょです!」

 梅雨時のある日の朝のこと。

 私は、いつも教室で子どもたちを迎えるようにしていますが、ある子が血相を変えて私に報告をしてきました。

「先生、Bくんがびしょびしょです!」──一体、何が起こったのか、全く分かりませんでした。

「校庭を見てください。」

 その言葉にうながされて2階の窓から見ると──Bが雨の中、傘もささずに走り回っているのです。

 雨が降ったのがよほどうれしかったのでしょう。心地よかったのでしょう。

 環境の変化に敏感なBらしい。濡れることなどお構いなしです。

 他の子はBを取り囲むようにして、その様子を見守っています。

 さて、ここで、

「B! 何やっているんですか、早く教室に入りなさい。」──そう言うのは簡単です。しかし、その時は少し静観することにしました。

 寒い時期ではないので、風邪をひくことはないだろうし、服が濡れても体育着に着替えればすむことなので。

 少しすると、Yという女の子がBのところに近寄っていきました。そして、

「Bくん、びしょびしょですよ。もうやめて、教室に行きなさい。」

 まるで、母親が小さい子を諭すよう。その様子があまりにおかしかったので、大笑いしてしまいました。

 子どもたちもみんな笑っています。

 教室に入ってきたときも大笑い。なにしろ、全身びしょびしょなのですから。

 Yには、おかげで助かったとお礼の言葉を伝えました。

 この、雨の日に校庭を走り回るのは、その後も何回か続きました。そして、その都度、Yがやさしくたしなめてくれました。そして、みんなで大笑い。

 この事件により、Bはおもしろいことをしてくれる──クラスの中でそういう存在になっていきました。             (つづく)

2024/01/05

Bくんとの出会い その7

 10.「Bくんがどこにいるか、わかりませんでした。」

 その後も、Bはがんばりました。もちろん、他の子と比べればまだまだですが、4月当初のことを考えれば雲泥の差です。

 そして、5月の終わり、運動会でのこと。

 3年生は、表現で「チャービラサイ」という沖縄の民舞を踊りました。

 Bは、体育は決して得意ではありません。そして、苦手なものは避けて通ろうとします。

 それでも、運動会の練習はBなりによくがんばりました。エスケープすることは、一度もありませんでした。

 そして、本番が終わり、W教諭が私のところに来て、こんな話をしてくれました。

「Bくん、すごいですね。はじめ、どこにいるかわかりませんでした。」

 Bが他の子と同じような動きをしていた、一体化していたという意味です。

 これ以上のほめ言葉はありません。


11.身支度を早くする

 2年生のとき、着替えが遅く、いつもみんなより5分は遅れて校庭に出ていたB。これでは、友だちから「B、何やっているんだよ。」「速くしろよ。」──そう言われても仕方がないです。

 もちろん、このようなきつい言い方をすることはよくないですが、言われるようなことをする方もよくありません。

 できないわけではないのですから。

 これも捨て置けません。

 Bの身支度の遅さ、それは、できないからではありません。まわりのいろいろなことが気になって、集中できないからです。

 そこで、このこともBと話し合いをもちました。

 そして、子どもたちにも

「皆さんに言います。Bくんに『速くしろよ。』と言うのはやめなさい。子どもたちに注意をするのは先生の仕事です。この大事な仕事を先生から取ってはいけません。」

 Bが着替えるとき、私はまわりの子の様子ももちろん気にしながら、Bに視線を向けていました。Bもそれが感じられたようです。着替えることだけに集中しようとし、実際、速くなっていきました。

 途中からは、私がいないときでもできるようになりました。    (つづく)

2024/01/01

Bくんとの出会い その6

※「おにぎり学級」、新年最初の投稿――「Bくんとの出会い」の続編です。
 読んでくださる皆さま、本当にありがとうございます。
 今年も、どうぞよろしくお願いします――できれば、感想など寄せていただけるとうれしいです。


9.「先生、大変です。Bくんがガラスを割りました。」

 離任式後、教室に帰るときのこと。

 この学校の体育館は2階にあります。教室は同じ2階の先。

 ふだんなら、私は子どもたちの先頭を歩くのですが、この時は

「先生は1階の職員室に行って荷物を取ってきます。みんなは教室に行って帰る支度をして待っていてください。」

 そう言って、子どもたちと別れました。

 そして、教室に行こうと階段を上がっていると、

「先生、大変です。Bくんが理科室のガラスを割りました。」

 あわてて行くと──教室のとなりにある理科室の扉のガラスが1枚、見事に割られています。

 事情はこうでした。

 教室に向かう途中、同じクラスの男子2人が、Bの背中を指でちょっと突いたのです。からかってやろうと思ったようです。

 指でちょっと突かれる──たったこれだけの刺激でBはパニックを起こし、そのまま突っ走り、突き当たりにある理科室のガラスを叩いてしまったのです。

 Bはちょっとした環境の変化や刺激に敏感です。今回の場合、離任式というBにとって退屈な時間をじっと座っていることにより、ストレスという風船がパンパンにふくれたのでしょう。そこに、指で突かれるという針が刺さり、一気に爆発したわけです。

 Bが机の上に乗ったり、大声を出したりするのも、彼なりの理由があるのです。決して、まわりを困らせてやろうなどというものではありません。転入による環境の大きな変化、学級崩壊状態の落ち着かないクラス。これがBをそういう行動に走らせたのです。

 3年生になってクラスが変わり、そういった行動に出なくなったのは、Bが変わったからでも私が恐いからでもありません。昨年度と違って落ち着いた明るい環境に身を置くことができたから、大声を出さずにすんだのです。

 Bの持って生まれたこの気質は、そう簡単に変えることはできないでしょう。そうであるなら、そういう行動を起こさせないための環境作りや、仮にそういうことがあってもまわりの子たちが馬鹿にしない雰囲気作り、それが大事だと思います。

 Bのこの「事件」は、「まだまだぼくのことをしっかり見ていてほしい。」──そういうメッセージに感じられました。

 だから、このとき私はBをしかりませんでした。むしろ、指でつついた2人を厳しくしかりました。

 そして、クラスの子どもたちには、Bについて

  ・2年生のときに比べ、朝会などで静かに立つ(座る)ことができるようになったこと。

  ・離任式では、長い時間、よくがんばっていたこと。

  ・がんばりすぎて、パニックを起こしたのではないかということ。

 この3つを話して聞かせました。そして、最後に「Bのことを怒ったりしないでね。」

 みんな、納得してくれたようです。

 余談ですが、このとき、Bは全くけがをしませんでした。あれだけ見事にガラスを割ったというのに。         (つづく)


学級だより №64