2024/12/29

学級だより №201

№ 201 2024年12月25日


 私事ですが――15年ほど前、秩父を旅行する機会がありました。秩父には、「秩父神社」という、大きな神社があります。有名な「秩父夜祭り」の舞台になる神社です。

 この秩父神社の境内を散策していたら、下のようなことが書かれた掲示板が目に留まりました。

親の心得

赤子には肌を離すな   幼児には手を離すな

子どもには眼を離すな   若者には心を離すな 秩父神社では、初宮で赤ちゃんを抱いてお参りに来る若夫婦に、この「親の心得」という額を進呈することにしているそうです。

            肌を離すな → 手を離すな → 眼を離すな→ 心を離すな ・・・・

 本当にその通りだなぁ、とても大事なことだなぁと思います。

 子どもというのは、いろいろと心配をかけてくれる、悩ませてくれる、そういう存在でもありますね。

 わが家には、子どもが2人いますが、この2人がまだ小さかった頃、布団に入って寝息を立てると「今日も、やっと無事終わったなぁ」・・・・そんな気持ちになったものです。

 子どもって、いろいろと心配をかけてくれる存在です。と同時に、子どものおかげで、大人が親が勉強すること、成長させてもらうこと、たくさんあるように思います。

 感謝しなければならないのは、むしろ大人の方なのかもしれません。

 もっとも、そういうふうに思うためには、大人自身に心の余裕がなければいけないのでしょうが。 

 さて、明日でいわゆる「2学期」が終わります。保護者の皆様には、大変お世話になりました。どうもありがとうございました。来年1月8日から学校生活が再開しますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

2024/12/20

学級だより №195・196

 № 195・196 2024年12月20日


 はや12月。それも半ばを過ぎました。

「♪もういくつ寝るとお正月・・・・」。そんな感じですね。

 もっとも、毎日せわしなくて、とてもお正月などという気分にはなれませんが。

 さて、その正月に関する言葉に「元日」「元旦」があります。どちらも1月1日を表すものですが、意味は少し違います。その違い、子どもたちは知っているかなと思い、先日、こんなことを聞いてみました。

 まず、黒板に「元日」という字を書き、「この漢字、読めますか。また、意味はわかりますか。」と尋ねてみました。

 これに対して「読める」と答えた子は12人、「見たことはあるが読み方はわからない」と答えた子は7人。

「初めて見た」と答えた子は6人いました。

 ちなみに、「読める」と答えた子の中で、意味まで知っている子はほんの数人。

「『元』という漢字には『はじめ』とか『はじまり』といった意味があります。

 『元日』は(1年の)はじまりの日ですから、『1月1日』です。」


 また、「元旦」については――

「読める」→12人 「見たことはあるが読めない」→12人 「初めて見た」→3人

という結果でした。

 そして、

「『元日』も『元旦』も『1月1日』を表す言葉です。しかし、意味は少し違います。

 『元旦』の意味、知っている人はいますか。」

 これに対して、手を挙げた子は一人もいませんでした。

「『旦』という漢字の『-』は、地面を表しています。そして、『日」は太陽。

 『旦』という漢字は太陽が昇っている様子を形にした字です。

 つまり、『元旦』は、元日の朝、1月1日の朝という意味なのです。」

 これを聞いて、みんな「なるほど」。


「元日」も「元旦」も、大人にとっては知っていて当たり前の言葉です。ところが、子どもには当たり前ではないのですね。そして、この2つに限らず、「こんな言葉も知らないの?!」――そう言いたくなるようなこともたくさんあるように思います。

 しかし、それは子どもが悪いわけではありません。大人がいろいろな場面を通してもっと積極的に教えていかなければいけないのでは――そう感じました。

「国際理解」「異文化理解」も大事でしょうが、その前に、ふだん使っている日本語――その力を伸ばすことが大事なのではないか、そんな気がします。


2024/12/19

学級だより №194

 № 194 2024年12月19日


        「おかしいな とっくに出産したはずが どこに行くにも未だに身重」

 これ、2000年に出版された「ママとファーストキス」という本に詠まれた一句です。


 高齢出産で毎日、育児に追われる私に友人からプレゼントされたのが、この本。

「読書?そんな時間があったら寝たいわ!」なんて思ったのですが、これはまさにリアルタイムで詠まれた育児歌集。

 1ページに1句もしくは2句詠まれ、その白いページの余白になぜか安心しました。

「乳求む児の ぬくもりに守られて 空白みゆく大寒の朝」にホロリとさせられ、

「おかしいな とっくに出産したはずが どこに行くにも未だに身重」にニヤリとしたり。

 たった31文字に込められた母親の様々な気持ちに「あっ、みんな大変なのにガンバっているんだ」と、何度励まされたことか。育児に孤軍奮闘している全国のママに絶対に読んでほしい一冊ですね。(書評より)


 子どもは、大切な大切な宝物です。でも、いつも「かわいい」と思えるばかりではありません。言うことをきかない、思った通りにならない、こちらが忙しいときによけいなことをしてくれる・・・・、時にはそんな腹立たしい存在にもなります。

 それは、上のような赤ちゃんの時でも、小学生であっても、中学に行っても同じだと思います。

 でも──。

                  「親となりしは子のおかげ」この大恩忘るべからず

 これは、松原泰道というお坊さん(故人)の著書のタイトルです。

 子どもって、いろいろと心配をかけてくれる存在です。と同時に、いやそれ以上に子どものおかげで、大人が親が勉強すること、成長させてもらうこと、たくさんあるように思います。感謝しなければならないのは、むしろ大人の方かもしれません。

 もっとも、そういうふうに思うためには、大人自身に心の余裕がなければいけないのでしょうが。

 わが家には、2人の子どもがいます。小学校に通っていた頃までは、この2人が布団に入って寝息を立てると「今日も、やっと無事終わったなぁ」・・・・そんな気持ちになったものです。

 今は2人とも20歳を過ぎたので、さすがにそうは思わなくなりましたが、

 保護者のみなさんは、いかがでしょうか?

2024/12/18

学級だより №192

 № 192 2024年12月17日


 前号(「重さ」の学習)の続きです。

「どちらが重いか」「どれが重いか」を調べるときは、直接持ってみたり、てんびんなどの道具を使ったりすればわかります。

③しかし、「どれだけ重いか」を調べるには、別の方法が必要です。

 この場合は、同じ重さのおもりをてんびんに載せ、その数の多少で「どれだけ重いか」を調べます。

 さて、この時のおもりは、正式な分銅でなくてもかまいません。10円玉といった硬貨など、何でもいいのです。

 例えば、片方が10円玉5枚分の重さで、もう片方が10円玉3枚分の重さだとしたら、前者の方が10円玉2枚分、重いということになります。

 これを「個別単位」(「任意単位」とも)と言います。

 日本には、「貫」という重さの単位があります。また、アメリカでは「ポンド」という単位を使います。これらは、一種の「個別単位」といえるでしょう。

 この「貫」や「ポンド」は、それぞれの地域では便利な単位でしょうが、互いが交流するとなると「換算」しなければいけません。

④そこで、万国共通の単位が必要になります。

 ここで初めて、重さの万国共通の単位、「g」が登場します。万国共通の単位──これを「普遍単位」と言います。


「重さの単位は“g”と言います。」などと「天下り式」に教えてしまうと、重さの本質も単位のありがたみも理解できません。そこで、学校では前号から続く4つの段階を踏んで学習しています――「直接比較」などの用語は教えていませんが。

 この「直接比較」「間接比較」「個別単位」「普遍単位」という4つの段階を踏む学習(指導)を「量の4段階指導」とよんでいます。

2024/12/17

学級だより №191

 № 191 2024年12月16日


 今日は、算数についてです。

 算数では、今「重さ」について学習しています。

 重さの学習では、はかりの使い方をしっかり身につけることがとても大事になります。しかし、それだけで「重さ」のことをきちんと理解したことにはなりません。

 ところで、この「重さ」は、「長さ」や水の「かさ」などとともに「量」の仲間です。これらの「量」は、どれも次の4つの段階を踏んで学習をしていきます。

①ここにぶどうとりんごがあります。どちらの方が重いでしょうか。

 手っ取り早いのは、右のように持って比べるという方法ですね。たいていの場合はこれで十分。

 この直接持って比べることを「直接比較」と言います。

 この「直接比較」をすることによって、この学習では、見た目の大きさなどは全く関係なく、「重さ」だけを問題としていることを意識させます。

 ところで、「どちらが重いか」を調べるときは、このように持ってみればいいのですが、違いが微妙な場合もあります。また、人間の感覚は意外といい加減なもの。

 このような時は、どうしたらよいでしょうか──そうです。右のてんびんのような道具を使って比べればよいのです(図は略)。

 比べる対象が2つであれば、手で持ったりてんびんに載せたりすれば、すぐに結果がわかります。

②しかし、対象が3つあり(例えば、ぶどうとりんごともも など)、重さの順位をつけるとなると、一度ではわかりません。

 このようなときは、右の図のようにします(図は略)。

 この結果から、ぶどうとももを直接比べなくても、ももの方がぶどうよりも重いことが明らかになります。このような比べ方を「間接比較」とよんでいます。

 さて、「どちらが重い」「どちらが長い」といったことは、直接・間接に比べてみればわかりますが、「どれだけ重い」かを調べるには、別の方法が必要です。   (つづく)

2024/12/13

学級だより №189・190

 № 189・190   2024年12月13日


「今日は○○の日」というのがあります。

 例えば、「10月10日」は、「銭湯の日」。「1010」は「千(せん)・十(とお)」と読めるところからきています。

「10月14日」は、「鉄道の日」。「1872年(明治5年)10月14日に、新橋と横浜を結んだ日本初の鉄道が開業したことを記念したものです。 

 では、今日、「12月13日」は「何の日」だと思いますか。

 実は、この12月13日を「○○の日」と定めているものはいくつかあるのですが、そのうちの一つに「ビタミンの日」というのがあります。

  世界で最初にビタミンを抽出、発見したのは、日本人でした。1910(明治43)年、鈴木梅太郎博士が、米糠から抽出した、かっけを予防する成分に「オリザニン」と命名したことを東京化学会で発表しました。それが「12月13日」だったのです。これが今で言うビタミンB1(チアミン)です。

 余談ですが、ビタミンのあとには、「A」や「C」など、アルファベットがついていますが、これは、基本的には、発見された順番に「仮称」としてついたそうです。

 さて、私たちが一日に摂取しなければいけないビタミンの量はほんのわずかです。しかし、体内にずっと蓄えておくことはできません。ですから、わずかずつでも摂取し続ける必要があります。

 そして、このビタミンを他の栄養素とともに摂取することによって、健康な体を維持しているわけです。

 ところで──。

 ビタミンAやBやC・・・・、これらは生理作用を円滑に行うために必須なものですが、これら「有機化合物」とは別に大事な「ビタミン」があると言われています。

 それは、心のビタミン──ビタミンI(アイ)(愛)です。

 人が人として生きていくためには、愛したり愛されたりといった、「ビタミンI(アイ)(愛)=無償の愛」が必要であると思います。

 ところで、今は昔に比べ、物が豊富です。多くの物が手に入ります。

 それに対し、この「ビタミンI(アイ)」は減ってきている、そんな気がします。そのため、心と体のバランスがとれない、そんな子どもが増えてきているように思うのです。

 でも、このクラスの子どもたちを見ていると、みんな「ビタミンI(アイ)」を十分もらっているなと感じます。どの子もみんな素直。とても澄んだ目をしています。

 もちろん、時にはいけないことをして、怒られることもあります。うまくできないこともあります。

 でも、それが子どもというもの。みんな本当にいい子です。

 ──などと書いている私が、この子たちにどれだけ「ビタミンI(アイ)」を渡しているかというと・・・・。

 むしろ、子どもたちから「ビタミンI(アイ)」をもらってばかりなのかもしれません。

2024/12/12

学級だより №187・188

 № 187・188 2024年12月12日


 今日は、漢字についてです。

 3年生で習う漢字は全部で200字ありますが、その練習も12月中に終わる予定です。子どもたち、よくがんばってきたと思います。

 しかし、漢字は習ったときに書けたとしても、時間が経つと忘れてしまったりするものです。そこで、年明けから3月いっぱいかけて復習をしていきます。

 ところで、中国生まれの漢字。その数は、8万字以上もあると言われています。ふだん、アルファベットに慣れ親しんでいるアメリカやヨーロッパの人たちは、漢字を見たとき、あまりの数の多さと難解さから「悪魔の文字」と言ったとか。

 高学年の子どもたちや中学生の中にも、「漢字の勉強がなければなぁ・・・・」「漢字なんてなければいいのに」と、心の中で「悪魔の文字」だと思っている子、多いのではないかと思います。

 国語学者の大野晋氏は、自書の中でこう述べています。

「日本が敗戦したとき、アメリカは日本の軍国主義的政治を根絶し、民主主義を日本に導入して、日本を改造することを目指しました。

 その時、敗戦が明白になったのに、なぜ日本人が勇猛に戦ったのかをアメリカ人は疑問としました。そして、彼らの結論は、日本人が正しい情報を得ていないからだということでした。

 日本では、漢字という“悪魔の文字”を使って、人々の読めない新聞や教科書を作り、正しい情報を与えていないと考えたのです。

 それで、教育使節団を日本に派遣し、将来、“かな”か、ローマ字を使用することを勧告しました。」

 1981年まで「当用漢字表」というのがありました(今は、常用漢字表)。この「当用漢字」というのは、「漢字の廃止を前提として、当面は用いることを認める漢字」という意味だそうです。

   しかし、漢字は、本当に「悪魔の文字」なのでしょうか。

 大野氏は続けて、こう述べています。

「『漢字を使っていたのでは、ヨーロッパの工業に追いつくことはできない』というのが、国字改革の合い言葉だったのです。しかし、2千字以上の漢字を使い続けたにもかかわらず、日本は経済復興をなしとげました。この事実は、先ほどのような主張が正しくなかったことを示していると言えるでしょう。」

 また、東北大学の川島隆太教授は、このように述べています。

「漢字の書き取りについて、京都大学の研究グループが、その効果を明らかにしています。中高生719名の漢字検定、文章読解・作成検定の成績データを解析したところ、漢字の書字の力が文章作成能力に直接影響することが分かったのです。

 ちなみに、同研究グループは以前、大学生を対象に同調査を行ったときにも、漢字の書字の力と文章力との特異的な関連性が明らかになったといいます。

 この結果を受け、研究者は『漢字学習によって、言語・言語・認知能力やそれらの基盤にある脳神経ネットワークなどにどのような効果を及ぼすのかを検証することが今後の課題』と語っています。

 どんなに便利なテクノロジーが登場したとしても、人の脳の可能性を引き出すうえでは、『読み・書き・計算』といった昔ながらの勉強法に軍配があがるようです。めんどうで無駄に思える勉強法こそ、実は脳が大張り切りしているということですね。」

2024/12/11

学級だより №186

 № 186 2024年12月11日


 今日は、12月11日。あと10日で冬至です。

 冬至は、日中の時間が一番短い日ですね。ですから、冬至は日の出が一番遅く、日の入りが一番早い――そういう感じがしますが、実際はそうではないようです。

 東京で日の入りが一番早い時刻は4時28分ですが、それは明日までのこと。

 正確には11月28日から12月12日まで。この15日間の日の入りが一番早いのです。そして、明後日から日の入りが少しずつ遅くなっています。

 また、今日の日の出は、昨日と同じ午前6時40分。そして、これからも少しですが遅くなっていきます。

 ちなみに、日の出の一番遅い時刻は、午前6時51分。これは、来年1月1日から13日まで続きます。そして、それを過ぎると少しずつ早くなっていきます。

 こんな話を子どもたちにしたところ「へぇ。」。

 ちなみに、「冬至」という言葉を知っていた子はほんの数人でした。意味まで知っていた子は一人もいませんでした。そこで、「冬至とは何か」から始まり、日本ではこの日にカボチャを食べたり、ゆず湯に入ったりする風習があることを説明しました。

 ところで――冬至にカボチャを食べることから、「カボチャの旬は冬」と思った子もいました。今は、一年中、いつでも食べられるので、そう思っても仕方のないことかもしれません。


 あと10日で冬至。

 昔からのことわざに「冬至十日経てば阿呆でも知る」という言葉があるそうです。意味は、「冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。」――「阿呆」という言葉に少しひっかかりますが、なるほどという感じがします。

 冬至は陰の極み。これから少しずつ陽の勢力が伸びてきます。冬の寒さの本番はこれからですが、それでも、春の訪れの準備がじわじわ進んでいるのですね。

2024/12/10

学級だより №185

 № 185 2024年12月10日


 以前、2年生を受け持っていたときのことです。ある保護者の方からこんな質問を受けました。

「子どもが宿題をやるとき、となりで見てあげた方がいいのでしょうか。もう1年生ではないのでどうかと思うのですが・・・・。」

 そこで、このようにお答えしました。

 お子さんはまだ2年生です。宿題は、子ども部屋で一人でやるよりも、リビングなどでおうちの人とやる方がよいと思います。見てもらっているという安心感もありますし、わからないことがあったらすぐに聞くこともできます。第一、見ている前ですから、いい加減にはできません。

 とは言っても、宿題の内容は一緒についてあげなければできないような、難しいものではありません。それに、1年生のはじめではないのですから、ずっととなりにいる必要もないでしょう。

 夕食の支度をしながら、宿題をやっている様子を眺めている、そして、わからないことがあったら、アドバイスをしてあげる・・・・そんな感じでよいかと思います。

 しかし、お仕事が忙しくて帰りが遅い方なら、それも無理というものです。

 大事なことは、「おうちの人が、子どもの宿題に関心を示しているかどうか」ということです。

 お子さんが宿題を終えてノートや学習カードを持ってきたとき、「きちんと書いてえらいね。」とか「全部あっているよ。」とか、「この字は書き直そうね。」といったことを言うこと、これが大事だと思うのです。

 それに対して、

「宿題が終わったよ。」「ああそう、はんこ、あとで押しておくね。」

──やった中身も確かめず、判を押すだけだとしたら、お子さんの勉強に関心がないと言っているのと同じこと。

 お仕事や家事などでお疲れのことかとは思いますが、今後ともご協力くださいますようお願いします。

2024/12/01

学級だより №176

 № 176 2024年11月28日


 明日は週末。毎週のことですが、子どもたちは上ばきや体育着などを持ち帰ることになっています。

 ところで、その上ばきについてですが――。

 これは、前任校での話です。

 ある金曜日の夕方のこと。げた箱の前で、ある保護者の方とお会いしました。そのとなりにはお子さんの姿も。

 こんな時間に一体どうしたのかなと思って伺ってみたところ、

「うちの子が上ばきを持ち帰るのを忘れたので、一緒に取りに来たのです。」

 続いて

「先生に見つかっちゃったねぇ。」

 親子二人で目を合わせて笑っていました。

 そのやりとりを見て、とても微笑ましく、そしてうれしく思いました。

 週末に上ばきを持ち帰ることは当たり前のことかもしれません。しかし、人間のやることですから、時には忘れる(失敗する)こともあるでしょう。私もうっかりすることが多いので、人のことは言えません。

 大事なことは失敗したあとどうするか、です。

「まあ、いいか。」と、なあなあで済ますのではなく──時にはそういうことも必要でしょうが──次善の方法を考え、行動する。それが大事だと思います。

 また、週末、げた箱に残っていた上ばきが、週明けになくなっていたということもあります。休みの日に取りに来てくださったのです。

 この「失敗したら次善の方法を考える」ということについては、子どもたちもだいぶ成長してきています。

学級だより №266