2023/06/30

授業規律について その5

 「授業規律」で大事にしていること

例えば・・・・


⑦ 児童の発言を聞くときの担任の立つ位置は? また、その視線は? 表情は?

皆さんは、児童が発言をしているとき、どこに立っていますか。

多くの方は、中央の教卓の前に立つと思いますが、私は、その児童と対角の位置に移

動して発言を聞くようにしています。

例えば廊下側の児童であれば、校庭側に移動(それも、さりげなく)・・・・という具合

です。

児童は発言をするとき、たいてい担任の顔を見て話をします。担任が対角の位置に立

つことによって、その児童は自然にクラス全員の方を向くようになるわけです。

また、児童と担任の距離が離れますから、聞こえるようにしようと、大きな声を出す

ようになります。


⑧ 担任が大きな声で話すは× ――落ち着いた雰囲気を壊すだけ

私は大きな声を出すのが得意ではないです。すぐに喉を痛めます。

地声の大きい人がうらやましく思えることがあります。

しかし、授業中、ずっと大きな声を出し続ける人がいますが、それはいかがなものか

と思います。

クラスが落ち着かない雰囲気になります。

担任の指示や説明は、一番うしろの児童に聞こえる大きさがあれば十分です。

ただし、淡々としゃべり続けているのも× です。メリハリはつけたいものです。

2023/06/28

授業規律について その4

 「授業規律」で大事にしていること

例えば・・・・

⑤ プリントを配るとき――「はい、どうぞ。」「ありがとうございます。」

「プリントをもらったら、名前を書きましょう。」などと言いません。

言われなくても書く――「当たり前」のことにさせます。

以前、ある中学の授業を見に行ったときのこと。授業者がこのようなことを言ってい

ました。

「これから、プリントを配るよぉ。もらったら、1枚取ってうしろに渡してぇ。

それから、名前を書くんだよ。書いたらシャーペン置いてね。」

全く必要のない指示です。

そうではなくて、言われなくても名前を書き始める子を取り上げる。その子をほめる

のです。そうすれば、みんな、真似をします。

また、「書き終わりました。」も言わせません。これをOKにしていたら、うるさく

なるだけです。

⑥ 自分の考えを発表させるとき、国語の本を読ませるとき

「だれか、発表してくれる人、いませんか。」「だれか、読んでくれる人、いませんか。」

区小研の授業を見に行くと、このような場面に出会います。このようなクラスでは、

たいていの場合、手を挙げる子がわずかで、この子達だけで授業が進む――というのが

ほとんどです。

また、給食の時間、

「おかわりをしてくれる人、いませんか。」

などと言う担任がいます。そして、子どもがおかわりをすると、ご丁寧に「ありがとう

ございます。」などと言う担任もいたりします。

発表や音読は、子どもにお願いすることではありません。すべきことです。

また、おわかりは、自分のためにすること。「ありがとうございます。」は、おかわりをした子どもに対して言う言葉ではありません。よそってくれた担任に対

して言う子どもが言葉です。


ノートに書いてあるものは特別な事情がない限り、誰でも読めるものです。

国語の教科書も同様です。

ですから、こういった場合は必ず手を挙げる――ということを、4月の初めにしつけ

ます。

以前、受け持ったクラスに、場面緘黙の児童がいました。家ではおしゃべりができる

ようですが、それ以外では全くお話しすることができません。

それでも、その子は授業中、手を挙げるようになりました。もちろん、指名しても声

を出すことはできないでしょうから、当てることはしませんでしたが。

このことを保護者に伝えると、とても喜んでいました。

2023/06/24

授業規律について その3

 「授業規律」で大事にしていること

例えば・・・・


③ 授業はすぐに始めるダラダラしない

授業前のあいさつ。

区小研の授業を見に行くと、こういう光景をよく目にします。

「き・を・つ・け。

こ・れ・か・ら・○・じ・か・ん・め・の・が・く・しゅ・う・を・は・じ・め・ま・す」

「は・い、よ・ろ・し・く・お・ね・が・い・し・ま・す」

のんびりとした口調であいさつをするのです。

私、これ、嫌いです。

また、中には

「○○くん、ちゃんとしてください。」

「□□さん、横向かないでください。」

日直が注意を始めて、あいさつがなかなか始まらない――授業が始まらない――そう

いうクラスもあったりします。

これも、見ていて嫌になります。

そんな時間があったら、問題の1つや2つ、解くことができそうです。

そうではなくて

「これから、○時間目の学習を始めます。」

「はい、よろしくお願いします!」

テンポよくいきたいものです。

ところで――

そもそも、授業の始まり、授業の終わりのあいさつって、必要なのでしょうか。

私は、朝や帰り、給食のあいさつは大事にしていますが、授業の始まり、授業の終わ

りのあいさつは、基本的にはしていません。

私から一言、「これから授業を始めます。」「これで終わります。」と言うだけ。

朝からずーっと一緒にいるのに、1~6時間目まで、いちいちあいさつする意味が見

出せないこと

席に着いたらすぐに授業を始める、授業が終わったらすぐに休み時間にする――その

方がいいのではないかと思うからです。


④ 「めあて」を書くとき――おすすめは「とも書き」

めあては声を出しながら板書するようにしています。

子どもたちも、それと同じペースで――全員が同じペースで――書いていきます。

これを「とも書き」と言います。

書き終わると、子どもたちの中には何も言わずに定規を出して線で囲み始める子がい

ます。

それを取り上げます。

「先生が何も言わなくても線を引こうとするなんて、えらいですね。」

「先生よりも早く書き終わりますね。すごいです。」

「書き終わったら、線で囲みなさい。」などと言う必要はありません。


2023/06/21

授業規律について その2

 「授業規律」で大事にしていること

例えば・・・・

① 1・3時間目が終わったら、次の授業の支度をしてから休み時間にする

 1時間目のあとと3時間目のあと、たいていの学校では5分休みがありますね。

 私のクラスでは、次の授業の支度をしてから5分休みにすることにしています。

 ノートは見開き、下敷きをしく、教科書は左(右利きの場合)、 筆箱は奥に置く。

といった具合です。

 ところで――

 この頃、下敷きを使っていないクラスが多いですね。

 今年度、受け持ったクラスも、その前も、4月当初はそうでした。

 そこで、なぜ、下敷きを使うのか、子どもたちに、そのわけを説明します。

 下敷きを使うわけは大きく2つ

     ノートに裏写りをさせないため

     ノートに鉛筆で書いたことによる溝ができないようにするためです。

 この説明をすると、ほとんどの子が「初めて知りました」と言います。

 下敷きを飾りだと思っていたようです。


 ちなみに、中休みや昼休みの前にも支度をさせますが、教科書やノートは開かず、重ね

て机の端に置いてから校庭に遊びに行くようにしています。

 その方が、見栄えがいいので。


② 1・3時間目が終わったら、タイマーをセット鳴ったらさっと席に着く

 私の勤務する小学校では、2・4時間目の始業のチャイムは鳴りません。そこで、代わりにタイマーをセットしています。

 ところで、みなさんのクラスの子どもたち、チャイム(タイマー)が鳴ったら席に着

いていますか。

 担任によっては、

「タイマー(チャイム)が鳴りました。席に着きましょう。」などと言う人もいるよう

ですが、これは言う必要のない指示です。

 言わなくてもできるように、4月の最初にしつけます。     (つづく)

2023/06/20

授業規律について その1

  昨年末のこと、私の勤務する学校の生活指導主任からこんな話を受けました。

「年明け初日の午後、研修会を開く予定です。テーマは『授業規律』。
 おにぎりさん(私のこと)、講師になってください。何か、話をしてもらえませんか。」

 せっかくいただいたお話なので、30分ほどしゃべらせてもらいました。
 次回から何回かに分けて、その時、話したことを投稿します。
 とは言っても、その内容のほとんどは、当たり前のことばかりですが。

 以下、目次です。

「授業規律」で大事にしていること
例えば・・・・
① 授業が終わったら、次の授業の支度をしてから休み時間にする
   ノートは見開き 下敷きをしく 教科書は左(右利きの場合) 筆箱はその奥に
② チャイムが鳴ったら席に着く
   「チャイムが鳴りました。席に着きましょう」は言わない。
   言う必要はない。なぜかと言うと・・・・。
③ 授業はすぐに始める ダラダラしない
④ 「めあて」を書くとき――おすすめは「とも書き」
⑤ プリントを配るとき――「はい、どうぞ」「ありがとうございます」
  「プリントをもらったら、名前を書きましょう」は言わない。
   言われなくても書く――「当たり前」のことにさせる。
⑥ 自分の考えを発表させるとき、国語の本を読ませるとき
  「だれか、発表してくれる人、いませんか」「だれか、読んでくれる人、いませんか」
     ↑ これはNG   手を挙げる――「当たり前」のことにさせる。
⑦ 児童の発言を聞くときの担任の立つ位置は? また、その視線は? 表情は?
⑧ 大きな声で話すは × ――落ち着いた雰囲気を壊すだけ
   一番うしろの児童に聞こえる大きさがあれば十分。
⑨ 担任自身がおもしろいと感じる授業を展開するよう心がける 「教科書通り」を疑う

2023/06/17

私は何もしていないのに その5

前回の学級だよりのつづきです。 


以前、あるお母さんから、こんな話を伺いました。

「うちの子は、学校から帰ってくると、たまにこういう話をすることがあります。

『お母さん、今日、○○君に、こんな(いやな)ことをされたんだよ。』

それを聞くと、私は、いつもこんなふうに言ってしまいます。

『えっ! そんなことをされたの。』『それは、ひどいわね。』『かわいそうに。』

でも──。

友だちといざこざがあった時って、たいてい、うちの子も何か悪いことをしているはずで

す。ですから、『あなただって、何かしたんじゃないの?』みたいなことを言った方がいいのではないでしょうか。」

そこで、

「確かに、どちらか一方だけが悪いなどということは、めったにありません。双方に非があ

るものです。しかし、私は、お母さんのように、まず受け入れてあげることが大事だと思い

ます。とにかく、味方であるべきです。お母さんは、最後の拠り所、砦なのですかから。

そうして、全面的に認めているうちに、お子さんの方から、

『本当は、ぼくも・・・・。』

なんて、言ってくることもあるかもしれませんよ。そうしたら、ほめてあげましょう。『自

分の悪かったところを正直に言えたなんてえらいね。』と。」

こんなふうに答えました。

それに対して、そのお母さんは、けげんそうな顔。本当にそれでいいの? 甘いのでは?

といった感じでした。

そこで、

「ひとつ伺いますが、ご友人に、『ちょっと聞いてよ! 今日、職場でこんなひどいことがあ

ったのよ。』みたいに愚痴を言ったこと、ありませんか? それって『それはかわいそうに。』と、同感してもらいたいから、わかってもらいたいから言うわけですよね。

その時に、ご友人から『あなただって悪いじゃない。』なんて一蹴されたらどうでしょう。

きっと、ムッとくるはずです。『わたしのこと、何も分かってくれない。』って。そして、二度と話なんかするものかと思ったりするのではないでしょうか。

子供だってそうです。いや、子供だからなおさら認めてもらいたいのです。」


(この回は、これで終わりです)

2023/06/16

私は何もしていないのに その4

 「いつもお世話になっております。

 昨日、うちの娘が『何もしていないのに、○○君にたたかれた』と言っておりました。ご対応、よろしくお願いいたします。」

――低学年を受けもつと、このような苦情(お願い)を受けること、ありませんか。

 ○○君がたたいた――程度はさておき、これは事実でしょう。しかし、「何もしていないのに」というのはまゆつばものです。子供は(大人も?)自分に都合の悪いことは言わないものです。そして、親もそれを鵜呑みにしてしまいがちです。「○○君って、何てひどい子なんだろう。」――こんな感じに。


 そこで、私は いつも5月頃、このような学級だよりを出すようにしています。


「先生、私は何もしていないのに○○君がぶってきました。」

「私は何も言っていないのに、○○ちゃんが悪口を言ってきました。」

 子供たちから、こういう「苦情」を受けることがあります。

 何もしていないのにぶったり悪口を言ったりするなんて、何てひどい子なんだ・・・・。訴

えてきた子の話だけを聞くと、そういうふうに思えてきます。

 しかし、「私は何もしていないのに」ということは、99%ありません。悪口を言いた

くなるようなきっかけがあるものです。

 また、その場では「何もしていない」ということもあります。しかし、よくよく事情を

聞いてみると、少し前に何かをされ、それで腹を立ててぶってしまったといったことがほ

とんどです。

 トラブルの原因はどちらにもあるわけです。

「親は、自分の子供の話しか聞けないから、大変ですよね。自分の子供から『何もしてい

ないのに、○○君にぶたれた』などと聞かされたら、相手は一体どんな子なのかと思い

たくなってしまいます。でも、子供というのは、自分に都合の悪いことは言ったりしな

いものです。」

──以前、ある先生がこんなことを話していました。

 子供は、自分が大変な目にあった、いやな思いをしたということを大人にわかってもら

いたいという気持ちを持っています。「何もしていないのに」という「枕詞」をつけるの

は、その表れです。

 ところで、こういう形での訴えは、4月当初に比べ、かなり少なくなりました。トラブ

ルが少なくなったことはもちろんですが、自分にも非があるのにこういうふうに言うのは恥ずかしいことだと感じるようになったのも大きいと思います。      (つづく)

2023/06/14

私は何もしていないのに その3

 前回の投稿のつづきです。

  D・カーネギーは、自著「人を動かす」の中でこのように述べています。


 人と話をする時、互いに意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。まず、互いの意見が一致している問題から始め、それを絶えず強調しながら話を進める。互いに同一の目的に向かって努力しているのだということを、相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと強調するのである。

最初は、相手に“イエス”といわせるような問題ばかりを取り上げ、できるだけ“ノー”といわせないようにしておく。

オーヴァストリート教授はこういっている――

「相手にいったん“ノー”といわせると、それを引っ込めるのは、なかなか容易なことではない。 “ノー”といった以上、それをひるがえすのは、自尊心が許さない。“ノー”といってしまって、後悔する場合もあるかも知れないが、たとえそうなっても、自尊心を傷つけるわけにはいかない。いい出した以上、あくまでもそれを固執する。だから、初めから“イエス”といわせる方向に持って行くことが、非常に大切なのだ。」

話し上手な人は、まず相手に何度も“イエス”といわせておく。すると、相手の心理は肯定的な方向へ動きはじめる。これはちょうど、玉突きの玉がある方向へ転がりだしたようなもので、その方向をそらせるには、かなりの力がいる。反対の方向にはね返すためには、それよりもはるかに大きな力がいる。

(中略)

人に“イエス”といわせるこの技術は、きわめて簡単だ。それでいて、この簡単な技術が、あまり用いられていない。頭から反対することによって、自己の重要感を満たしているのかと思われるような人がよくいる。生徒にしろ、顧客にしろ、その他、自分の子供、夫、あるいは妻にしても、初めに“ノー”といわせてしまうと、それを“イエス”に変えるには、大変な知恵と忍耐がいる。

(後略)


 「だって、Bさんが『バカ』って言ったからです。」

――はじめに「だって」と言って自分の行為を正当化してしまうと、それを反省する気持ちにもっていくのは至難の業です。

 それよりも、カーネギーの言うように、「最初は、相手に“イエス”と言わせるような問題ばかりを取り上げ」た方が効果的だと思います。

2023/06/10

私は何もしていないのに その2

 「私は何もしていないのに、Aさんがたたいてきました。」

――こんな「苦情」、低学年ではよくありますね。「思い切り」という「枕詞」をつけることもあります。

でも、「何もしていない」などということはまずありません。その子なり(「その子なり」です)の「理由」があるはずです。

それに、いくら低学年だとしても、「思い切り」たたかれたら、あざくらいはできるはずです。

「何もしていない」「思い切り」と言うことによって、自分がいかにかわいそうな被害者であるということを訴えようとしているわけです。

 

  こんなとき、私はよく次のような対応をします。

ポイントは「はい(Yes)」と言わせることです。

 

 まず、Aをよんで、

Aさん、Bさんのことをたたいたそうですね。」

目撃者がいるので「はい。」と言うしかありません。そこで、

「きちんと認めたことはえらいですね。

ところで、Aさんが人をたたくなんて、よっぽどの理由があったのでしょう。」

「はい。」

「でも、今のAさんなら、たたくのではなく、ほかの方法が思いつくのではありませんか。」

「はい。」

ここで、Aさんがその方法を言えそうなら聞いてみます。その内容が???と思えるものであったとしても、それを受け入れ、「それはなかなかいい方法ですね。」とほめます。そして、

「と言うことは、たたいてしまったこと自体はよくなかったと思っているのですね。」

「はい。」

「それはすばらしい。では、その分だけは謝ることができますね。」

「はい。」

 

担任によばれたAさん。友だちをたたくなどという「悪いこと」をしたのですから、担任からかなり叱られるだろう――そう思っていたはずです。それに反してほめられたのですから、悪い気はしないと思います。きっと素直に謝罪に応じることでしょう。

 

たたいた理由は、そのあと聞きます。そして、

「そうかぁ、そんなことがあったのですか。それは怒りたくなりますね。でも、今のあなたなら、これからは同じようなことがあっても、たたいたりなんてしませんよね。」

 そう言われれば、もちろん、「はい。」

 

つづいて、Bさんをよんで、話をします。

このときも、「はい(Yes)」と言わせる質問をするようにします。そして、「ばか」と言ったこと、Bさん自身にも非があったことを引き出すようにします。

 

最後に、二人をよんで、互いに謝るようにさせます。          (つづく)

2023/06/07

私は何もしていないのに その1

 「私は何もしていないのに、Aさんがたたいてきました。」

低学年を受け持つと、こういう「苦情」を受けることがあります。

そんなとき、どうしていますか。

よくあるパターンは、はじめに

「Aさん、なぜBさんのことをたたいたのですか。」

と「理由」を聞く、ではないでしょうか。

私は、これはあまりよい方法ではないと思います。

なぜなら、たたいてもよいという理由は存在しないからです。

理由がないのに、理由を聞くのはおかしいです。

 

さて、

「Aさん、なぜBさんのことをたたいたのですか。」

このように聞けば、子どもは必ずこのように答えるでしょう。「だって。」

「だって、Bさんが『バカ』って言ったからです。」

このように、自分の行為を正当化しようとします。

「なぜBさんのことをたたいたのですか。」と「弁明の機会」を与えられたのですから、当然です。

 

そして、

たたいてもよい、または、たたいても仕方がないなどという「理由」は、この世に存在しないのにも関わらず、担任の中には、このように言う人がいます。

「それは、『理由』にはなりません。」

「『バカ』と言われたからたたいたなんておかしいです。」

つづいて、

「Aさんは、こういうところがよくありませんでした。そして――、それから――、」

などと長々話し、

さらに、

「相手に謝りなさい。」

 

たたいたAを「確保」し、「事情聴取」をし、「裁判」にかけ、「謝罪強要」という「判決」まで下す。

つまり、担任は警察と検察、さらには裁判官の役を一人ですることになります。

その間、Aには「弁護人」もつきません。

  担任は、そんなに偉くはありません。 

などと、偉そうに書いている私も、新卒1年目や2年目の頃はそうしていました。

お恥ずかしい限りです

 

さて、

かと言って、

Aさんがたたいてきました。」

という「苦情」を受けた以上、些細な事案であったとしても――些細なことがほとんどですが――聞かなかったふりをするわけにもいきません。 

みなさんは、このようなとき、どのようにしていますか?        (つづく)

2023/06/03

Aくんとの出会い その9

 18.そして

 母親が連絡帳にサインをするようになり、数日後に連絡帳の書くスペースがなくなってしまいました。せっかく、よい習慣になり始めたのにこれは困ったなと思ったのですが──翌日には、新しい連絡帳が用意されていました。

 さらに、こんなことも。

 連絡帳に、このように書かれてあったのです。

「おはようございます。昨日、○○のため宿題をさせることができませんでした。今日、2日分やってくるようにします。申し訳ありません。」

 また、こんなことも。

 ある日、Aが連絡袋を学校に置き忘れて帰った(学童に行った)ことがありました。そこで、それを学童に持っていったのですが、次の日には

「昨日はお忙しい中、ありがとうございました。」

 学校公開にも来て、ニコニコしながら授業に「参加」してくれました。 

 はじめのうち、Aの母親は育児を怠けている──そう思っていたのですが、それは全くの誤解であったと今反省しています。


19.その後

 翌年度、私は満期のため異動をしたので、Aのその後を直接見ることはできませんでしたが、Aは毎年、年賀状をくれました。

 話によると、Aは3・4年生では担任とうまくいかず、再び荒れた日々を送ってしまったとのこと。それでも、5・6年生では立ち直り、無事、卒業することができたようです。

 ちなみに、その5・6年の時の担任は、私がAを受け持っていたときに教育実習生として私のクラスに配属されたCさん。Cさんは大学卒業後、その学校に赴任し、Aの担任になったのです。

 Aが立ち直ったのは、本人の努力はもちろんでしょうが、C先生のがんばりも大きかったと思います。

 また、Aの母親は、卒対の委員長を引き受けたそうです。           (おわり)

学級だより №64