2025/02/28

学級だより №248

№ 248 2025年2月27日


 先週の「昔の○○小PTA新聞の話」と関連して

■人を批判する方法

 人に意見をして、その欠陥を改めさせるというのは、大慈悲のあらわれであり、つとめの最も大切なことの一つである。しかし、そのやり方には大いに苦心を要する。

 人のことについて、その善悪を発見するのはたやすいことであり、それを批判するのも簡単なことだ。

 大抵の人は、人のいやがる、言いにくいことを言ってやるのが親切だと心得、それが受け入れられなければ、仕方のないことだとしているようだ。これは、何の利益にもならない。

 結果として人に恥をかかせ、悪口を言うのと同じことであり、言う側の気晴らしに過ぎない。

 人に意見を言う際には、まず、相手がそれを受け入れる気持ちがあるかどうかよく判断し、互いに心を打ち明けあうほどの仲となり、こちらの言葉を信頼するような状態にしなければならない。

 その上で、趣味のことなどから気持ちを引き、言い方、言う時期などをよく考え、手紙を利用し、暇乞の折にふれ、あるいは自分自身の弱点や失敗の話などをして、直接相手に意見をせずとも思い当たるようにするのがよい。また、まず相手の長所をほめ、気分を引き立てておいて、ちょうど喉のかわいた時に水を欲するように、こちらの言い分を自然に受け入れさせ、欠陥をなおしていくのが本当の意見である。大変むずかしいものである。

 誰しも欠陥、弱点というのは、長い間しみついているものであるから、一とおりのことで直せるものでないことは、自分にも覚えがある。同僚同士がお互いに親しくなりあって、その欠陥をただしあい、一つ心になってつとめるようになることこそ、真の大慈悲である。

 いたずらに人を辱めて、どうしてこの目的を達することができようか。


 この文章、もちろん私のものではありません。では、どこから引用したものかというと……。

 これは、300年近く前に書かれた「葉隠(はがくれ)」の一節です。江戸時代のものなのに、今に通じるものがあると思いませんか?             (つづく)

 

2025/02/27

学級だより №242・243

 № 242・243 2025年2月21日


 前号と関連して(前号は略)。

 子どものこと、いつでもほめていたいものですが、そういうわけにはいきません。悪いことをしたときには、きちんとしからないと・・・・。

 そのことと関連して。


 PTA文化部では、去る11月25日、○○小学校に東京学芸大学教授、□□□□先生を招いて、「反抗期・思春期にある子供の扱い方」という題で1時間半にわたり、講演していただきました。

 2教室打ち抜いた会場を、いっぱいにうずめた2百余名の参加者は、具体的な事例をまじえて、興味深く話される先生の話に、深い共感を呼び、残された30分の質問時間も足りぬほどでした。


 これは、前々任校のPTA新聞(昭和36年)からの抜粋です。

 さて、この講演でどんなお話がされたかたというと・・・・。


○○小PTA新聞 №16 昭和36年12月20日発行

「感情でぶったり、なぐったりしても、子供の反省にならない」

 昔は、躾方として、子供は家でも学校でもよくなぐられた。妙なことで、そんなにやられても、子供はどんな悪いことをしたのかさっぱり解らないでいることが多い。

 これは、気分や感情で打っているからである。これでは、二度とやるまい、などという気が子供におきてこない。ぶったり、おどかしたりは躾としてよくない。それによって、不良になった例もある。叱ってもよいが、悪いことを相手に納得させ、直してあげようという心がけが大切である。

 子供の顔を見ると、文句ばかり言っていると「また始まったから逃げちゃえ」ということになる。薬も使いすぎるとよくない。ここは一発という時にし、乱用しないこと。そして、どこかに逃げ道を作っておいて、悪いと気がついたら許してあげることです。


「叱り方の注意」

 低学年では、その場で叱る。後では効果がない。他の人や兄弟の前では絶対いけない。

 体の小さいだけが子供なのではない。考え方も子供である。それを、大人のようなことをしろと期待するからいけない。大人の都合のよいことをもって躾としているが、時代とともに子供も進んできているから、こんな躾ではだめです。


「子供のやったことを正当に認めてやる」

 子供の言い分として「勉強したことをちょっとでも認めてほしい」というのが多い。この認めてあげることの意味は心理学の法則でもある。かといって、なんでもほめてあげることではない。大切なことは、子供の気持ちを上向きにのばしてあげるよう仕向けることである。

 他の人や兄弟と比較して、悪くいうことは絶対よくない。非行原因の主な理由はこの兄弟との比較である。子供のよいところを認めてよくしていくのが根本だ。認められないと思うと、反抗の原因にもなる。

 思春期の特徴としては、自分に目覚めてくること、鏡を見る回数が多くなったら、青年期に入ったと思ってよい。自分はどんな人間かつかもうとしている。この頃になると、自分を自分で試してみようとする気が出てくる。これを、親が解らないでだた怒るのは、子供を認めていないことになる。そうすると、問題が出てくる。


 昭和36年と言えば、60年以上も前のこと。今とは時代が違うはずなのに、この考え方は、現在でも十分通用すると思いませんか?

  「感情でぶったり、なぐったりしても、子どもの反省にならない」

   「子どものやったことを正当に認めてやる」

   「他の人や兄弟と比較して、悪くいうことは絶対よくない」・・・・

 まさに、その通りだなと思います。


2025/02/26

学級だより №238

 № 238 2025年2月17日


 前号と関連して。

 前任校最後の年、教育実習生を受け持ちました。その時の話です。

「担任の一番大事な仕事、それは授業ですね。しかし、それだけではなく、生活面もしっかり教えてあげなければいけません。

 例えば、給食。ご飯は一粒残らずきれいに食べること、片付けた箸は向きをきちんとそろえること――こういったことはとても大事ですし、きちんと身につけさせなければいけません。そして、このことは作ってくださった給食室の方への感謝の気持ちを伝えるという意味もあるのです。」

 実習生にそんな話をしたところ

「今の話、とてもよくわかります。

 私は、カレーハウスでアルバイトをしていますが、お客さんにはいろいろな方がいます。 きれいに食べ切り、使った食器やコップ、おしぼりなどをきちんとよせてくれると、とてもうれしい気持ちになります。

 反対に、テーブルの上がひどい状態になっていると・・・・。」

 そこで、

「確かにその通りですね。お客さんはお金を払っています。ほかの客に迷惑をかけないかぎり、テーブルの上がどのようになっていても文句をつけることはできません。しかし、それでもいかがなものでしょう。

 使ったものは中央に寄せるとか、同じ食器は重ねておくとか──そのくらいはしてもよさそうなものなのです。そして、その手間は大したことはありません。」

 ファミリーレストランなどでの外食は、とても楽しい時間です。と同時に、上のことを子供に教える、よい機会だと思います。

 相手に対する気遣い――それを子どもたちに教えるのは大人の責任です。

 家庭と学校が連携をして──このことは家庭が主体となるでしょうが──子どもたちに働きかけていく必要がある──そう感じます。

 余談ですが、その実習生は今、縁あって前任校で担任をしています。

2025/02/23

学級だより №237

 № 237 2025年2月14日


 先日、久しぶりにファミリーレストランで食事をしました。

 その時のことです。

 私の席のとなりに、ある家族連れが座っていました。

 すでに食事を終え、席を立とうとしていたのですが──。

 テーブルの上を見てビックリ。散らかし放題。ものすごい有様でした。

 使ったものは中央に寄せるとか、同じ食器は重ねておくとか──そのくらいはしてもよさそうなものなのに。そして、その手間は大したことはないはずなのに。

 お店の人がこれを片づけて、次のセッティングをするのは、きっと大変だろうなあと思ってしまいました。

 もちろん、ほかの客に迷惑をかけているわけではありません。また、お金を払って食事をしているわけですから、文句をつけることでもないのかもしれませんが、それでもいかがなものでしょう。

 そうかと思えば──

 そのちょうど反対側にいたご家族は、それはそれはきちんと整えて退席していました。

 両者のあまりの違いに、言葉も出ません。そんな感じでした。

「食事をしたら、きちんと(できる範囲で)片づける。」

 ファミリーレストランでの食事は、とても楽しい時間です。と同時に、上のことを子どもに教える、よい機会だと思います。

 この学級だよりで、何度か給食のことを取り上げてきましたが、片づけを含め、マナーよく食事をすることは、相手に対する気遣いです。そして、それを子どもたちに教えるのは大人の責任です。

 家庭と学校が連携をして──家庭が主体となるでしょうが──子どもたちに働きかけていく必要がある、そう感じています。

 お子さんの食事のマナーや片づけの様子、いかがですか。

2025/02/21

学級だより №233・234

 № 233 2025年2月10日


 今日は、理科についてです。

 理科では、今、「じしゃくのせいしつ」という学習をしています。

 先週の理科の時間、こんな問題を出してみました。

「次のお金のうち、磁石につくものはどれでしょう。」

 子どもたちに提示したお金は、次の通りです。

          1円玉 5円玉 10円玉 100円玉 500円玉 1万円札

 さらに、おまけとして、昔の50円玉も試してみることにしました。

「では、まず、1円玉で試してみますよ。1円玉、磁石につくと思う人?」

 すると、半数ほど子が手を挙げました。

 1円玉はアルミニウムでできています。「アルミニウム =(イコール) 金属 =(イコール) 磁石につく」――このようにイメージしたようです。

 しかし――1円玉は全く反応しません。これを見て、子どもたち、意外に思ったようです。

 続いて、5円玉。先の1円玉の結果を見て、「5円玉もつかないのではないか」――教室の中はそのような空気に包まれました。

 実験をしてみると――つきません。「やっぱり」・・・・そういう声が聞かれました。

 その後、10円玉・100円玉・500円玉を試してみましたが、当然のことながらつきません。

  しかし、用意したお金の中に、つくものもあったのです。

 それは何と1万円札。

 もちろん、ピタッとくっつくわけではありませんが、右の写真のようにして磁石を動かすと、1万円札が回ります(写真は略)。

 5千円札も千円札も同様です。子どもたちは不思議そうな顔をして見ていました。

 では、なぜそうなるかというと、印刷に使われているインクに、微量ながら鉄分が含まれているからだそうです。

「磁石につくものは、鉄です。1円玉や5円玉などは、アルミニウムや真鍮などの金属でできていますが、鉄が含まれているわけではありません。ですから、磁石には反応しません。」

 しかし、旧50円玉だけは磁石につきます。「硬貨は磁石にくっつかない。」――そう思っていただけに、これを見た子どもたちはビックリ。

 旧50円玉は、ニッケル100%でできています。

 それに対して、現在の50円玉や100円玉は、銅75%、ニッケル25%。

 純粋なニッケルは磁石につきますが、合金はつきません。

 余談ですが――。この旧50円玉を職員室で見せたところ、初めて見たという職員がほとんど。

 でも、年配の先生方は一言、「懐かしい・・・・。」


2025/02/20

学級だより №232

 № 232 2025年2月7日


「花のJKです。授業中、いきなり百人一首を言わされましたが、当たっていました。国語の先生に一目置かれています。友だちにも尊敬されました。──後略」

 8年前のこと。このような年賀状をもらいました。これをくれたのは、以前、5・6年生の時に受け持った子です。当時、高校1年生。今は社会人になっています。

 話は変わりますが──。

 30年ほど前になるでしょうか。

「先生、百人一首のおかげで高校に合格しました!」

 私の受け持ったある子が中学3年生になり、高校受験の結果を報告にきてくれました。そのとき、上のようなことを言っていたのです。どういうことかというと・・・・。

 その子が受験した高校で、面接の際、面接官が「あなたの特技は何ですか?」と聞いてきました。その子は、運動が得意で、平泳ぎで地区の大会で優勝するほどの実力の持ち主だったのですが、そのとき、とっさに出た言葉が「百人一首を全部言えます!」

 その面接官は国語が専門で、そのあと百人一首を何首も聞いてきたそうです。その子は、当然スラスラ答えられたわけですが、面接官は、それにいたく感激したとか。

 もちろん、百人一首だけで高校に合格できたわけではないでしょうが、好印象を得られたことは間違いないでしょう。

 このほか、「中学の百人一首大会で、受け持ったクラスの子が上位を独占した。」など、小学校を卒業した後、百人一首に関するうれしい報告、今まで何度も受けました。

 私は、百人一首が好きです。正確に言うと、「子供たちと取り組む百人一首」が好きです。それは、百人一首にはすばらしい魅力がたくさんあるからです。

 このクラスの子どもたちも、みんなとてもよくがんばっています。私は、一度も「覚えなさい。」と言ったり宿題に出したりしたことはないのですが、みんな自分からすすんでたくさん覚えました。

 仮に、本市でクラス対抗百人一首大会のようなものがあったら、優勝できるのではないか――そう思っています。

 本当にすごいです。

2025/02/19

学級だより №231

 № 231 2025年2月6日


   「初めてにしては、よくできたね。」

   「初めてなのに、よくできたね。」

 どちらも、相手をほめるときに使う言葉です。そして、どちらも似たような言い方です。しかし、受け取る側からすれば、かなり意味合いが違ってくるような気がします。

 以前、ある教育評論家の話を聞く機会がありました。なかなかいいことを言うなあと思って聞いていたのですが、ところどころ???と思うところもありました。

 例えば──。

「先日、ある学級の音楽の授業を見る機会がありました。そのクラスは、20人という小さなクラスです。しかし、20人にしては、大きな歌声でした。」

 それを聞いて、私は 「?」 と思いました。

「~にしては」というのは、標準よりは優れているという意味です。しかし、及第点はやれるが、驚くほどのものではない、予測の範囲内の内容だという気持ちが含まれています。

 この「~にしては」と同じような言葉に「~なのに」があります。

 これは、「~にしては」と違い、予想以上のものを見聞きしたときに使う言葉です。冒頭の「初めてなのに~」というのは、ここまでできるとは思ってもいなかった、予測を超えている、素晴らしい、という感じでしょうか。

 ですから、当然評価される側からすれば、「~にしては」よりも「~なのに」と言ってもらった方がうれしいと思います。

 さらに言えば、この「~なのに」などという言葉も一切捨て去って、ただ単に「よくできたね。」と言われた方がうれしい場合もあるかもしれません。

「~にしては」にしても「~なのに」にしても、言葉自体それほど大きな違いがあるわけではありません。そして、どちらもその行為に対して敬意を払って言った言葉のはずです。

 しかし、受け取る側がそれを好意を持って受け止めるかというと、???となることが往々にしておきるものです。

 人に意見をするのも難しいものですが、人をほめるのもまた、難しいものです。

2025/02/18

学級だより №229・230

 № 229 2025年2月5日


 雪を見ると、思い出すことがあります。

 もう何年も前の土曜日(休校日)のこと。この日は何年かぶりの大雪が降ったのですが、近所にお住まいの方がこんなことをおっしゃっていました。

 この方には、小学校低学年のお子さんがいます──今は、大きくなっていますが。


「この日、わが家は、朝から大変でした。

 子どもが『早く、外で遊びたい!』──それはそれでいいのですが・・・・。

 朝ご飯をなかなか食べようとしない。そのあとの歯磨きや洗顔もゆっくり。自分でやることになっている上ばき洗いもやろうとしない。

『そんなにのんびりやっていたら、雪がやんで解けちゃうわよ!』って、怒ってやりました。

 それがやっと終わって、遊ぶ支度になったら、また大変。

『手袋はどこ?』だの、『何を着ていったらいいの?』だの、いちいち聞いてきます。

 そして、『お母さん、この格好でいい?』と着替えた姿を見て、がっくり・・・・。

『そんな、網の帽子なんかかぶっても、意味ないでしょ!』

『そんな格好じゃ、寒いわよ!』

 ──結局、全部やりなおし。

 あまりに腹が立ったので、

『雪遊びがしたいなら、自分で支度が全部できるようになってからしなさい!』」

 この調子なら、遊びから帰ってきたら、また、文句の一つや二つ、言われたことでしょうね。「こんなにびしょびしょになるまで遊んで! 風邪でもひいたらどうするの!」といった感じに。


 でも、子どもって、いろいろな意味で大人に「面倒」をかける存在、そして、それが子どもの仕事の一つなのかもしれません。

 だいたい、自分で支度が全部できるようになった頃には、もう雪遊びなんぞに興味はなくなっていることでしょう。

 わが子が面倒をかけているときは、「いい加減にしてほしい。早く大きくなってほしい。」と思うものですが、大きくなってそれがなくなると、また、さみしいもの。

 親って、実に身勝手な存在です。

 その身勝手な親には、私も含まれています。


2025/02/15

学級だより №225・226

 № 225・226 2025年1月31日


 今日も理科についてです。

 昨日、お伝えしたとおり、理科では今、「電気の通り道」という学習をしています。

 先週の授業では、こんな活動をしました。

「どんな物が電気を通すか、調べてみましょう」

 左の図のように、導線と導線の間に物を入れ、明かりがつくか試してみました(図は略)。

 調べたものは、左の下の表の通りです。

 このプリントを渡すと、ある子からこんな質問が。

「先生、“仁丹(じんたん)”って何ですか。」

 そこで、実物を渡し

「これが“仁丹”です。薬のような物です。銀色をしています。」

 子どもたちの中で、見たことがあると答えた子は、一人もいませんでした。無理もないでしょうね。

 そのあと、さっそく実験に取り組みました。

「竹のものさしも、三角じょうぎも、つまようじも電気を通しません。」

「アルミはくやクリップは電気を通します。」

 こんな声があちらこちらから聞こえてきました。

 ところで、おり紙の銀紙やおり紙の金紙、仁丹は、電気を通すと思いますか。

 まずは、おり紙の銀紙。これは電気を通します。銀紙は、紙にアルミニウムなどの金属を貼り付けて作られています。ですから、電気を通すのです。

 続いて、おり紙の金紙。

 これも電気を通すと思いきや、残念ながら通しません。この結果に、多くの子がビックリしていました。「銀紙は電気を通すのに・・・・。」

 一般に、おり紙の金紙は銀紙を金色の塗料でコーティングして作られています。塗料ですから、電気を通しません。しかし、金色の部分を紙やすりなどで磨くと、下の銀色(アルミニウム)が出てきます。そうすれば、電気を通します。

 最後に仁丹。これは、電気を通します。仁丹は銀色をしていますが、これは、何と本物の銀――銀箔なのだそうです。なぜ、銀でコーティングをしているのかというと、銀の殺菌効果で保存性を高めるためだとか。

 金属の銀がまかれているということを話すと、ある子からこんなつぶやきが聞こえてきました。

「金属を食べても大丈夫なのかな?」

 そこで、

「不思議な感じがしますね。でも、何の問題もありません。」

 鉄やアルミニウム、銅などの金属は、電気を通す──先週は、そのような学習をしました。

2025/02/14

学級だより №223・224

№ 223・224 2025年1月30日


 今日は、理科についてです。

 理科では、今、「電気の通り道」という学習をしています。乾電池と豆電球をどのようにつないだら明かりがつくか、電気を通すものにはどのようなものがあるか、といったことを学んでいきます。

 先々週の授業では、まず、下のような問題に取り組みました。また、⑧と⑨については、子どもたちに明かりのつく配線の続きを考えてもらいました。


 はじめに予想を書いたあと、一人一人、実験をし、確かめていきました。

 豆電球が光るのは、①・②・③・⑦ですね。

 この結果は、子どもたちの予想と、だいたい同じものでした。

 ただし、⑦については、導線が+極の出っ張りについていないので、「明かりはつかない」と予想した子も多くいました。それでも、この部分は、銀色に輝いているので、明かりがつくことに納得したようです。

 続いて、次のような問題を出しました。

「豆電球をソケットから外し、乾電池と豆電球、導線だけで、明かりをつけてみましょう。」

 そのように言うと、子どもたちから「え!」。

 そこで、

「大丈夫、工夫すればできますよ。では、やってみましょう。明かりがついたら、先生のところにもってきてくださいね。」

 そのように言うと、みな、一斉に取り組みました――しかし、なかなかうまくいきません。

 それでも、数分後、ある子が「できました!」

 これが「呼び水」になったのか、その後、少しずつ「成功者」が現れ始めました。

 ちなみに、正解は下の図の通りです。どちらでも明かりはつきますが、ほとんどの子は左のようにしていました(図は略)。

 続いて。


 右のようなプリントを渡し、

「豆電球はガラスでできています。ですから、中がどんなふうになっているかわかりますね。では、その下はどのようになっているでしょうか。コードの続きを予想してかいてください。」

 子どもたち、さっそく取り組み始めました。しかし、なかなか正解者は現れません。

 そして、しばらくすると、ある子が「正解」の図を持ってきました。

 私が「正解!」と言うと、一斉に「えっ!」と、どよめきが起こりました。

 ところが、その後はさっぱり・・・・。

 ちなみに、左の図は、子どもたちの予想したものの一部です(図は略)。

「これは、違いますね。」「これもダメですね。」

 それでも、このクラスの子どもたちの偉いところは、あきらめないでやるところです。

「人が一番賢くなるときは、正解を教えてもらったときではありません。どうしたら正解が出るか──そうやって悩んでいるときに一番賢くなるのです。みんな、よくがんばっていますね。」

 そのあと、ヒントを出しました。

「豆電球と乾電池と導線1本を左の図のようにつないだら明かりがついたでしょ。そのときのことを思い出してごらん。」

 それを聞いて「ああ、そうか。」

 そうこうしているうちに、少しずつ正解者が現れるようになってきました。

 そして、タイムアップ。

 正解の確認をしました。 右の図の通りです。

 これで、「1つの輪」――「回路」ができあがります。みんな納得。

2025/02/06

学級だより №217・218

  № 217・218 2025年1月23日


 前号の続きです。  

 日本の小学生は、欧米の小学生に比べ、分数の計算問題は、とてもよくできます。しかし、前号で紹介したような、それ以前の問題──そもそも分数とは?──については、あまりよくできません。

 一体なぜでしょうか。理由はいろいろあるでしょうが、一番の理由は、文化圏の違いにあるようです。

 そもそも、分数はどのようにして生まれたのでしょうか。初めに、このことを考えてみたいと思います。

 まず、下のような、ひもがあるとします(図は省略)。

 これが、どのくらいの長さがあるというと。

   上のように(図は省略)、2mと半端が出ました。この半端、何mであるといえるでしょうか。

 表し方には、大きく2つあります。

 ひとつは小数を使うやり方です。1mを10等分したひとつ(0.1m)が5つあれば、0.5mであると言います。

 そのほか、「この半端がいくつあれば1mになるか。」という考え方で表すことができます。かりに、半端が2つで1mになるとしたら、それは、2分の1mであると言います。

 初めの問題にもどります。

 太線の部分は、「3つあれば1m」になります。ですから、①から⑤までは、すべて「3分の1m」となるわけです。

 このように、分数はもともと小数と同じく「半端を表すため」に生まれてきた数なのです。

 しかし、このような形で分数を使うことは、日本では、まずありません。肉屋さんで「牛肉1.5㎏ください。」と言うことはあったとしても、「1と2分の1㎏ください。」と言うことはありませんよね。

 それよりも、「りんご2分の1」のように、「いくつかに分けたひとつ分」という使われ方が圧倒的です。

 ですから、「1m」という表示も気にせず、「7つに分けたひとつ」=「7分の1m」と、思ってしまったわけです。

 この、「いくつかに分けた〇〇ぶん」という分数のことを「分割分数」と言い、初めに出てきた2分の1mや2分の1kgなどのように、ものの量を表す分数のことを「量分数」と言います。

 そのほか、「150円の3分の1は50円」のように、分数は割合を表すときにも使われます。これを「割合分数」と言います。

 また、「1÷5=1/5」の「1/5」を「商分数」と言います。

 このように、一口に分数と言っても、様々な「顔」があるのです。そして、これらがごちゃごちゃになっているため、わけがわからなくなってしまうわけです。

 ちなみに、欧米では「4分の1ドル」とか「ハーフタイム」のように暮らしの中に分数がうまく取り入れられています。ですから、日本の子どもたちに比べ、親しみやすいものになっています。

 3年生の段階で、「分数とは何か?」を完璧に把握することは、非常に難しいと思います。しかし、今、学習している内容はきちんと理解してもらいたいです。


2025/02/05

学級だより №216

 № 216 2025年1月22日


 今日は、算数についてです。

 算数では、今、「分数」について学習しています。

 10日ほど前のこと、子どもたちに右のような問題を出しました。プリントを配り終わり、

「全部終わった人は、先生のところに持ってきましょう。」

と言うと、子どもたちは、すぐに問題に取り組んでいきました。

 まもなく、一人の子が出来上がった解答用紙を持って、私のところに来ました。見てみると――

 ①は「7分の1m」、②は「6分の1m」、③は「5分の1m」、④は「4分の1m」と書かれていました。

 しかし、残念ながら、正解ではありません。

 そして、次の子も、その次の子もそうでした。

 正解は、もちろん、①~⑤とも「3分の1m」です。

 また、2の問題については、多くの子が「3分の1m」としていました。

 これも、正解ではありません。

 正解は、「3分の2m」です。

  ところで、私は、「3年2組の子は出来が悪い」と言いたいのではありません。

 この問題は、3年生以上を受け持ったときは必ず出すことにしていますが、6年生でも、全問正解する子は、毎回、クラスで2人ほどです。

 中学生に出したときもありましたが、やはり同じような結果でした。また、以前、大人向けに算数教室のようなことをしたことがありますが、その時も半数以上の方が間違えていました。

 では、一体、なぜこのような間違いをするのでしょうか。

2025/02/04

学級だより №213

 № 213 2025年1月20日


 今日、1月20日は、二十四節気の一つ「大寒」。「1年の中で、寒さが一番厳しくなる頃」とされています。

 左の表は、東京の気温の平年値を記したものです。

 これを見ると、この時期は気温が一番低いということがわかります。まさに暦通りです。

 寒さは、今が底値。これから、少しずつですが気温が上がっていきます。春はもうそこまで来ている――そんな感じでしょうか。

 そういえば――校庭の紅梅が咲き始めました。







2025/02/03

学級だより №211

 № 211 2025年1月16日


 今日は、給食についてです。

 3年1組の給食の様子については、この学級だよりで何度かお伝えしてきましたが、全体的に本当にきちんとしています。

 まずは、配ぜん。ご飯が出たときは12~3分、パンなら10分ほどで終わります。どのクラスにも負けません。それは、とにもかくにもみんなが協力しているからです。

 片付け方もとてもきれいです。箸はかごの中に全て同じ向きに入れられていますし、皿に食べ残しなどほとんどありません。

 もちろん、箸の向きがそろっていなかったとしても、そのあとの洗浄の作業にほとんど支障はないでしょう。しかし、給食室の方はどう思われるでしょう。一生懸命、調理をしてくださった給食です。返ってきたワゴンの中がきちんと整頓されていれば、やはり気持ちがいいのではないでしょうか。そんな話、栄養士の小林先生と、たまにすることがあります。

 先日はこんなことがありました。

 配ぜんの途中、ある子がこんなことを言ってきたのです。

「先生、おぼんの中の皿の位置、間違っていませんか。」

 見てみると、確かに主食のお椀と主菜の皿の位置が反対になっています。

「本当ですね。当番さんがうっかり間違えてしまったのですね。直しておいてください。」

 こんなところに気がつくところ、さすがです。

 また、食べているときのマナーも、とてもよく守られています。

 とは言っても、残念ながら全員が全員、そのようにできているわけではありません。

 例えば、箸の持ち方。練習をしてできるようになったはずなのに、ちょっと形が崩れている子がいたりします。指摘をするとハッとして直すのですが──ということは、完璧に習得したわけではないのですね。

 また、お椀を持たずに、いわゆる「犬食い」をする子や、ついひじをついてしまう──そういう子もいないわけではありません。

 そこで、家でそんな食べ方をしたら、おうちの人から注意を受けるかどうか聞いてみました。すると、ほとんどの子が注意されると答えていました。

「学校ではそんな食べ方をしているけれど、家ではやらない──などということはありえませんよね。きちんと食べないと笑われますよ。もちろん、笑われるのはあなたたちではありません。おうちの人です。」

2025/02/01

学級だより №209・210

 № 209・210  2025年1月15日


 今日も算数(量の単位)についてです。

「g(グラム)」や「m(メートル)」、「L(リットル)」などの基準となる単位の前に、

「k(キロ)」や「d(デシ)」「c(センチ)」、「m(ミリ)」といった「補助単位」をつけることがあります。「1㎞」や「1㎝」といった具合に。

 そして、「k」には「1000倍」、「c」には「100分の1」という意味があるので、「1㎞=1000m」「1kg=1000g」、「1m=100㎝」となります。

 しかし、「10分の1」や「100分の1」にあたる補助単位はあるのに、「10倍」や「100倍」にあたる補助単位がないのは、何だかおかしな感じがします。

 下の表の「※1」や「※2」に入る補助単位はないのでしょうか(表は省略)。


 実は、あるのです。

 10倍にあたる補助単位は「da(デカ)」、100倍のそれは「h(ヘクト)」といいます。

「da」はあまりなじみはありませんが、「h」は、面積の単位である「ha(ヘクタール)」や、気圧の単位である「hPa(ヘクトパスカル)」などで使われています。

 そして、表の空欄のところにも、単位が存在します。

 1hg=100g、1dag=10g  となります。


 もっとも、「hg」「dag」も日常生活では全く使うことはありませんが、ネットで「ヘクトグラム」「デカグラム」などと検索すると、それを説明するサイトがヒットします。


   k(キロ)→h(ヘクト)→da(デカ)→(m(メートル))→d(デシ)→c(センチ)→m(ミリ)


 この「キロ→ヘクト→・・・・」の順番を覚えるために、昔からこんな「呪文」があります。

        キロキロとヘクトデカけたメートルがデシにおわれてセンチミリミリ


 ――授業の中で、以上のような話をしました。

 ちなみに、この内容は、6年生や中学で習うものです。それでも、子どもたち、よくわかったようです。

 また、「キロキロと・・・・」が面白かったようで、授業が終わっても、くり返し唱える子が何人もいました。

 そして、

「先生、ぼく、もう覚えました!」


学級だより №207・208

№ 207・208 2025年1月14日


 今日は、算数についてです。

 昨年末の算数の時間、「単位」について確認をしました。

 学校では、上の表のような単位を学習します(表は省略)。また、ふだんの生活でもよく見かけます。

 ただし、「dL(デシリットル)」は例外です。

 算数の教科書では、おなじみの「dL」ですが、日常生活では全くと言っていいほど使われていません。

 ところで、ずっと以前のことですが、あるラジオ番組を聴いていたら、「読者からの投稿」ということで、こんな話をしていました。


「私は、小学生の娘を持つ母親です。この間、娘が学校から、こんな宿題を持って帰ってきました。

 家の中で、『dL』を見つけてきましょう。

  そこで、親子で調べてみることにしました。しかし、家中どこを探しても見つかりません。

 結局、娘は、この宿題をやっていくことができませんでした。

 ところで、『dL』って、一体どこで使われているのでしょう。また、先生は、そのことをご存じなのでしょうか。」


 算数の「かさ」の学習では、「dLます」がよく使われます。「Lます」では大きすぎ、また、「mLます」では逆に小さすぎて、どちらも扱いづらいからです。小学生にとって「dLます」が一番手頃な大きさだと言えるでしょう。

 しかし、実生活の中で「dL」という単位を見ることはありません。ですから、上の「家の中で、“dL”を見つけてきましょう。」という宿題には、確かに無理があるようです。

 ところで、表の ※ にも単位があります(表は省略)。“c”と“L”を組み合わせた、その名も「cL(センチリットル)」です。初めて聞かれたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし、この「cL」という単位は、欧米産のワインやウィスキーに表示されていることがよくあります。720mLではなく、72cL といった具合に。

 大きなスーパーやデパートなどの洋酒コーナーに行けば、きっとお目にかかることができるはずです。

 ちなみに、「dL」は、野菜の種を買うときの単位として使われることがあります。「大根の種 2dLあたり○○円」といった具合に。これは、昔「1合」を単位として使用していた名残だそうです。現在は、法律の定めで「1合」という単位が使えません。1合(180mL)に近くて、きりのよい「2dL(200 mL)」が販売単位になったのだとか。

 また、健康診断でよく登場する、コレステロール値や血糖値などの単位は、「mg/dL」です。

 余談ですが──。

「リットル」という単位。数年前まで教科書では、小文字の筆記体で表していました。しかし、最近の教科書では大文字の活字体になっています(「L」)。

 一般に、単位は小文字の活字体で表します。世界的に見ると、筆記体で表すことはほとんどないようです。

 しかし、「L」の小文字は「l」です。これだと、数字の「1」と混同しがちです。そこで、「リットル」の場合は、大文字を使って「L」と表すそうです。

 ちなみに、「mL」は、小文字を使って「ml」と表すこともあります。そんな話を子どもたちにしたら、ある子が

「先生、ぼく、それを見たことあります。」「私も。」


 このことと関連して――。

 先週、冬休み明け初日のこと。ある子がこんな報告をしてくれました。

「先生、この間、『cL(センチリットル)』を見つけました! お店で売っているワインに、『cL』と書いてありました!」

学級だより №266